鬼さん此方
琴線に触れたものも、その心当たりすらも持ち合わせていないのだけれど年に不相応の幼い容姿で此方に寄る一つ年上のかのひと。他者との縁が少ない訳ではなく飄々と気ままに居場所を築いており、つるむ様子は偽りなく信用を預けているように感じられるというのに。
放課後となればチャイムと共に教室の出入口に手招きをすることが週に幾らか。初期は渋々とした気分で誘われるままに美術室へと赴いていたが、段々と静かな其処が課題を片付けるのに適当であるということ、何のかんので作品製作に勤しむかのひとを盗み見るのは退屈しのぎになることを発掘したので、他の部員も顧問も余り訪れない、先輩のまるで巣のような其処に通いつめている。
時たま思い出した風に此方にちょっかいを出すのには少々閉口したけれども。にこやかにこわくはないと、めげずに距離を詰めてくる。放っておけば乾燥した絵の具が付着したままの手を戯れに伸ばしてくるが、まあ黙っている義理もないので悪戯が過ぎる域にきたらやんわりと諫める。繰り返し返される味気ない反応に仕方ないとでもいう笑みを振りまいて筆との共同作業に戻る。
しかして息を潜めた分だけ彩りがよりよいものになると思い込んでは願いを注ぐように、瞬きを必要最低限に納めるように、絵の具の独特な香りで空気をも染めるようにカンバスに塗り刻む横顔を見たら。
構う際の止めれば無理強いをしないそれが、どうにも物足りなくなっていった。此方から構って欲しくなるようになった。ここぞとばかりに天邪鬼の気質が疼いては、触れて欲しくなっていった。そうであるから、遠からず望みまれるままに。愛を贈ったからといって、必ずしも返礼してくれる訳でもあるまいし、ましてや上乗せを望むなどなんと贅沢な。そんな味を覚えては欲しくないのだけれども。
足を退けて頂けませんか。
暮れの色付いた生暖かい陽光に影が足元から生えるような形に変化を見せる頃に、己から伸びる長い影を踏まれた。すると帰宅部故にそそくさと下校へと急いでいた足が一寸たりとも動かない。
此方の動きに制限を課し続けるには、状態を保ち続けていなければならないことも、当たり前にご存知ですよね、先輩。
逆光に表情を判別し難くさせたかのひとは平然とした声音でイエスと言う。善意も悪意もなく、だけれども気まぐれということでもなく、狙っての行為。
今だけご希望に沿い、聞き分けのよい後輩で居てみせようか。…だから、踏み留め続けていなくともいいんですよ、黒沼先輩。とっくに捕まえられているのだから、もう今更となっているので逃げることを考えてすらいないのだから。