嵐と台風
それは突然の襲来だった。
台風みたいに予測不可能で、回避する方法がまるでない、季節外れの大きな、嵐。
【…にしてもホント、変な天気ですよね】
窓の外を眺めながら、僕はその呟きを口にはせずにキーボードに打ち込む。ほどなくして画面に映し出される文字の羅列。ほとんど時間をおかず、すぐに返信が入った。
[本当ですよねー。雨降りそうで降らないような…台風来てるんでしたっけ?]
《そうみたいですよぉー?怖いですよねぇ》
僕より余程早いキータッチで文字が打ち込まれる。相手をしてくれるのはいつも通りセットンさんと甘楽さん。返事を入力しているうちに雷が鳴って、一瞬体が震えた。たったひとりの東京で迎える、はじめての台風。特別怖いってわけでもないけど、こうしてネット越しにでも誰かと話をしているだけで多少不安も消えるのだから、不思議なものだと思う。
【あ、雷】
《きゃっ☆ほんとだーっ!今なりましたよねえ!怖ぁい!停電とかしたらどうしよう!?》
[あ、うん、まあ停電したらネットも切れるわけだから、停電かどうかはわからないけどね]
【あ、ですよねー】
心にもないことを良く言えるもんだなあ、と相変わらずの甘楽さん──臨也さんの演じぶりに苦笑が洩れる。雷を怖がる臨也さんなんて、どう考えても想像できない。雷どころか雹や槍だって避けて降りそうだ。
ああ、でも、そうか。停電したらこの会話もできなくなるわけで、そう考えると途端に不安になる。ネットは便利な分、消えるのもあまりにも簡単で。
つながりはこんなにも希薄だ。そばにいないって、こんなに不安になるものだっただろうか。
そう考えた瞬間、一際大きな雷が鳴って、
プツッ・・・
部屋中の家電がすべて、止まった。
「停電…?」
ポツリとつぶやくことで状況を把握する。ええと、なんだっけ。どうするんだっけこういう時。当然一人暮らしのこの部屋には、備えなんてあるわけもない。アナログの壁掛け時計の秒針の音だけが響く静かすぎる部屋で、ただ時間だけが過ぎて行く。何も考えられない頭の中に、ただ
臨也さんの顔だけが、浮かんだ。
「不安って…、こういう事?」
常にそばにいたいという彼を、うざったいと遠ざけるのはいつも自分だ。だけどそんな存在がもしかしたら、僕の居場所になっていたのかな。
こんな非常時にそれを痛感するなんてなんだか浅ましい気もするけど、だからこそ気づけたってこともあると思うんだ。とはいっても、彼が住むのは新宿。雷に端を発して降り始めた横殴りの雨では、外に出るのは難しいだろう。ましてやパソコンが使えない今、連絡をとることすら。
ピンポーン
まるで思考と連動するような絶妙のタイミングで、インターホンが鳴る。驚いてびくりと体が震えたが、その間もインターホンは鳴り続ける。意識がしっかりしてきて重い腰をあげた頃、こともあろうかガチャガチャと鍵を扱うような音が響いて、
扉が、開いた。
「え…?」
「帝人君、大丈夫!?」
いるはずがない。こんな日に、池袋に、彼が居るはずない。それなのに
後ろ手にドアをしめて入ってきた臨也さんは全身雨に濡れていて、それでも僕の姿を視界に入れて、ほっとしたように笑った。いつもみたいに。
どうして、
「どうして、ここにいるんですか」
「え、だって急に帝人君落ちちゃうし、雷もひどくなってたからもしかしたら停電かもと思って」
「で、でも新宿じゃあ雷は…」
「あー、俺近くのカフェにいたんだよね。いやあ、偶然?」
「…鍵、どうやって開けたんですか?」
「こんなこともあろうかと、帝人君の部屋の合鍵つくってたんだよねー。あ、ていってもまだできてないから今日はピンで開けたけど」
「帰れこのピッキング犯」
臨也さんを押し返そうとすると、逆にその手を引かれて抱きすくめられた。
温かい。濡れていないコートの中に、彼は僕の体を迎え入れて、会いたかったんだと小さく言った。
「ごめんね、心配したとかそういうよりもさ、俺が君に会いたかっただけ。君の不安につけこみたかっただけだよ」
「…そんな、こと」
そんな事しなくても。
普通に連絡をくれて、来てくれればよかったのに。彼が突発的な行動をとるのがいつものことでも、濡れた髪や珍しく息があがっているところに彼の本気を垣間見て、何も言えなくなってしまった。
気まぐれで、人を振り回すだけ振り回し、うざくてかかわり合いになんかなりたくない。そのはずなのに
どうして、ほっとする、なんて、
「それでね、今回のことで考えたんだけど」
「え?」
僕の思考なんてお構いなしに、ふと思い出したように臨也さんが呟く。さっさと部屋にあがってタオルでも持ってきたほうが彼にはよかったんだろうけど、次の台詞をきいて僕はまったく身動きがとれなくなってしまった。
「一緒に暮らそうか。俺の部屋で」
また一際大きく、雷が、鳴って
外の雨が、激しさを増した。