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乳白色の海

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突然泣き出す僕に、毎回この人は一杯のホットミルクを差し出す。
 もはやクセのようなものだった。普段はそんなそぶりも身を潜めているのに、ある瞬間突然ふっと、抑え込んでいた感情が涙と一緒に外に飛び出してしまう。僕がそれを咎める前に、マイナスな感情たちは泣きわめき、そしてはらはらと落ちていく。涙は部屋のカーペットに、感情は心の深い所へ。落ちて、落ちて、そして僕は瞼を閉じてその感情たちが行き過ぎるのをただひたすら待っている。
 そんな僕を怪訝な顔一つせず、静雄さんは黙って僕の傍にいるのだった。優しいその大きな手は僕に触れることなく、いつも通りタバコに手を伸ばして、白く美しい煙を躍らせる。苦い香りが部屋に立ち込めるのは嫌いじゃない。この香りにも、僕はすっかり慣れていた。
 まだ雫がこぼれたままだけれど、僕はそのマグカップに注がれた乳白色の液体を揺らす。陶器のように透き通ったその色を見たら少し落ち着いたような気もするし、そのほのかな温かさが僕の心をじんわりと温めているような気もした。多分全部そうなんだろう。そうして僕は毎度、この一杯に助けられている。
「何も、聞かないんですか」
 尋ねて、初めて静雄さんが僕を見た。その目は優しさも厳しさも、混沌も純情も含んだかのように、一瞬にして様々な色を見せる。サングラスをしていないから良く見える静雄さんの目は、いっそ触れたくなる衝動を覚えさせる。
「何も、聞かねえよ」
 そう言って、静雄さんはまた煙を吐き出し、細く立ち上がっていくそれを黙って見送る。煙はすぐに溶けてなくなってしまった。
「恋人なのに、聞かないんですか」
「恋人だから、聞かねえんだよ」
「隠し事、してるのに」
「隠してるから、隠し事なんだろ」
「静雄さん、」
「お前、毎回このやり取りしてて飽きねえのか」
 俺は飽きた、と静雄さんはまだ吸ったばかりなそれを灰皿にぎゅっと押し付けてしまう。生きるためのエネルギーを失ったそれは、黒ずんでぽたりと平たい皿の中に寝そべった。
 その様子を、僕は滲んだ視界の中、懸命に目を凝らして見届ける。また強くぐにゃりと世界が歪み、僕から静雄さんの姿を消えてしまう。目を閉じて水槽から水を追いだせばまた見つけることが出来るのだけれど、再び水は彼を溺れさせようと僕の世界を支配する。
 僕の手の中のマグカップが、悲鳴のような軋んだ音を立てる。
「言っただろ、利用しろって。俺はそれで構わないって」
「嫌だって、僕は言ったはずです」
「…強情」
「どっちがですか、貴方だけには――」
 貴方だけには、言われたくない。
 突き放しても突き放しても、僕の望む言葉を降らせて、僕を甘い空間に閉じ込めようとする。居心地の良さを知ってしまったから、僕はろくにここから動けない。わかってるくせに。わかってる、くせに。
 この爆発は、その代償なのだ。
「ほら、いい加減観念してこっち来い」
「まだ、飲んでません」
「飲む気なんてねえくせによく言う」
「飲みます」
「毎回震える手でそれを抱えてるくせに。飲めねえんだろ、馬鹿」
 馬鹿って言った方が馬鹿なんですよ、そんな軽口を叩こうとして、失敗する。
 静雄さんの大きなため息が聞こえたと思えば、静雄さんは僕の傍までやってきて、髪でもなく、頬でもなく。そのしっかりとした男の指で、僕の唇をなぞる。その無骨さが、また僕を掴んで離さない。
「帝人」
 急にそんな優しい声で僕の名前を呼ばないで。そんな風に呼ばれたら、僕がどうなるかなんてわかりきってるでしょう?貴方がもし僕に嫌気がさして僕を突き放しても、僕はいつまでも貴方を追ってしまうくらい、もう貴方を好きなのに、なのに、なのに、これ以上、僕に捨てさせるつもりなんですか。
 いや、捨てたのは僕。彼に責任転嫁したいだけの臆病者は、僕だ――。
「泣けよ。ここにはお前を責めるやつも、傷つけるやつもいねえから。お前が好きなだけ泣いても、俺がいるだけだ。だから、安心して泣けよ」
「何回目だと、」
「さあな、覚えてねえ。だからまあひとまず三度目あたりってことにしておけばいいんじゃね?」
 難しいことは考えるな、と静雄さんは言う。そのどこかの情報屋曰く、化け物じみた力をうまく調節しながら、僕を腕の中へ招いた。
「俺は単に、お前を甘やかしたいだけなんだよ」
 そうして、僕の視界は彼によって塞がれる。その闇の中、たくさんのものが僕の前を駆け抜けた。取り戻したいと願う時間も、忘れてしまいたい記憶も。手を伸ばしてもつかめない、もう遠い過去のものまで。
 乳白色の液体は、彼の吐き出した煙のように溶けてはくれない。ただ温度を失っていき、自らの重みに沈んでいくのだ。
作品名:乳白色の海 作家名:椎名