これでおしまい
「大佐はガイのこと、引き止めないんですね」
ガルディオス邸を後にしたアニスとジェイドは暮れかけた陽を背に、夕日に染まったグランコクマの街並みを眺めながら歩いていた。
成長したアニスの背丈の影と、それでも高いジェイドの影がふたつ。並んで歩いてるのが不思議、と思いながらアニスはジェイドに話しを振った。
「まあ、自殺願望者ですからねぇ。私が首を突っ込むのも、本人に失礼でしょう」
「自殺……って、確かにそうですけれど。でもでも、生きてほしい、とか思わなかったんですかぁ?」
お互いに伸びた影を目で追う。
黒いのは影の部分だけで、その他ほとんどは夕日に染まっていた。気味が悪いほど穏やかで、黄昏た色をしている。それにジェイドは目を細めて、アニスを横目で見た。
「それこそ、アニスは思わなかったんですか?」
「あ、質問を質問で返さないで下さいよー。んー、まあ、思わなかったわけじゃないですよ。馬鹿げてるかもしれないけれど、分かるんですもん。ガイのそうした、理由」
アニスは突然ゆらゆらと揺れ始めた。ゆりかごのように揺れながら話すのは彼女の癖であるということをジェイドは知っている。不安な時や、揺れている心を、そのまま動作に表しただけ。
「でも、それってすっごく自己中なんですよ! 我侭だけど生きてほしいけど、でもどうしたって、引き止められないんだと思ったんです」
ルークの時も。
ぽつり、と呟いたアニスの声はジェイドにははっきり耳に届いた。静かになり始めた街の喧騒を遠く聞く。
遊びつかれて家に帰っていく小さな子どもが側を通り過ぎ、今日の夕食の話しをお互いにしているのを見て、アニスは小さく微笑む。ジェイドもそれをゆるりと見送ってから、そうですね、と柔らかく声にした。
ルークの気持ちを汲み取ってくれてたのは、ジェイドだろう?
ガイの、ゆるやかな崩壊を知った日に、そう云われたのをジェイドは何度も思い出す。
穏やかな日だった。それでもすべてが不釣合いに見えた。奇妙な、感覚。
そして彼は、何故か言った。ジェイドに向かって、ありがとう、と。
きっと俺には出来ないことだっただろうから、と笑う。自分のことしか、考えられないんだ。
微笑んだ口元。それでも表情に落ちた影。
清潔な白いシーツとブランケットが緩い風に波をつくるのを何も考えずに目で見る。そうして、ジェイドはガイに対する返事などせずに、真っ直ぐと静かにガイを見て聞いた。
あなたはそれで幸せですか
独り言に近い響き。ガイはそれに驚いたように目を瞬いて、ぼんやりとする視界の中に見えるジェイドに苦笑した。どうした、ジェイドらしくない言葉だな。
それにジェイドは下がってもいない眼鏡を人差し指で押し上げた。軽い溜息をつき、そうですね、我ながら馬鹿なことを聞きました、と瞼を閉じた。何故こんなことを訊いたのかジェイドにも分からなかった。
ただ思ったのだ。あの日の彼のように、もしかしたらガイも同じようなことを言うのか、と。
同じような、寂しいのか悲しいのか嬉しいのか、微妙な表情を浮かべて。わらうのか。
まあ、そうだな、と突然声がした。
ジェイドは瞼を上げて、窓の外を見るガイの表情をただ眺めた。
ゆるやかに揺れるきらきらとした金色の髪と、白いレエスのカーテンが波をつくる。
幸せだよ
聞こえた声にジェイドは僅かに目を細めた。
ああやはり、同じようにわらうのか。そう思った。
あの旅の途中、もうすぐ消え逝く彼も同じようにそう言いわらった。たくさんの感情を押し殺し、嘘を貫き通せていると思い、わらった。これはデジャヴ。
ひん曲がったパーティメンバーだった。寄せ集めの、最初はただの同行者。解散したと思ったらまたひと騒動あって、結局また同じ集まりになった。それでも知らない誰かよりはやりやすい、と思ったのだろう。それがいけなかったのか、それで良かったのか。
嘘を重ねだした彼に、ばれているのに彼らは騙されている振りをした。ジェイドもそうだった。
そして、最後まで自分たちの深い淵は狭まらなかった。埋まるはずがなかったのだ。
(幸せなんだ。すごく)
それでもわらった彼が理解できなかった。
ガイが言うように、ルークの気持ちを汲み取っていたのかはジェイドには分からない。
ただ、たくさんのものを押し殺す子どもを哀れに思ったのだ。これが自分の罪と愚かさか、と彼が苦しむたびに感じて。
そして。
彼は、帰ってこなかった。
大佐?
ジェイドの顔を覗きこむアニスの表情に、薄く笑みを作る。
心配されては困るのだ。だって自分はなんともない。
ジェイドはアニスの頭を撫でた。まだまだ彼女の身長はジェイドには低く、親と子のようで。
「ちょっ、なにするんですかぁー! 子ども扱いは禁止ですよ!」
「おやぁ。アニスはまだ未成年のはずでは? それにガイには大人しく撫でられていたじゃないですか」
「あ、あれは、病人だからですよ。……それに優しい大佐は気持ち悪いですぅ」
「アニース、なにか言いましたか?」
「いいえ、大佐。空耳だと思いまーす!」
賢すぎる子供というのも困りものだな、と感じながら、ジェイドはアニスの黒髪をもう一度撫でた。
背後では、夕闇が、迫っている。