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花籠に眠る

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 目の前に小さな子どもがいる。元々持っているのが薄い色素なのだろうか日本人にしては珍しい茶色の髪の毛、そして瞳の色も同じように薄かった。子どもはその大きな瞳をこちらに向けてじっと見つめている。
「なんだよ」
 不思議な感覚だった。その子どもは昔どこかで見たことがあるような気がしていた、いや―確かに見ていたのだ。
「なんでお前が此処にいるんだ」
 なぜなら、その子どもは俺自身だったからだ。


 桜の花びらが舞い散る中にその子どもはいた。強い風が吹いて、世界がその色に染まる。まるでこの世ではないかと思ってしまうほど世界が美しく感じた。
 いつもと同じ街並み、いつもと同じ見回り、だけど此処だけいつもと違った。存在してはいけないものが其処に存在していた。
「沖田、総悟」
 子どもの名前を当ててやる。子どもは驚いたのか、大きな瞳を更に大きくさせていた。何故名前を知っているのかとでも言いたそうである。
「何で俺がお前の名前を知っているか知りたいか」
 子どもは黙って頷く。聞く前から答えは分かっていた。
「俺はお前だからだよ」
「何、言って……」
 子どもは理解出来ていないようだった。それはそうだろう、自分よりも何尺か大きい男がいきなり自分の名前を言った挙句に俺はお前だなんて言ってきたのである。驚くのも無理は無い。
「アンタは沖田総悟、俺も沖田総悟。それは変わりようのない事実だ」
 ほんとうもうそも無い。ただ、二人の生きる時間が違うだけ。
「どういう、こと?」
 幼い頭には理解出来ないようだった。それもそうだろう、この子どもの世界は自分とその周りしか存在しない。勿論だが、俺自身も存在しない。否、本来ならば存在してはいけない。
「アンタは十年後の世界に迷い込んでしまったんでさァ」
「……」
 子どもは何も言わなかった。言えなかったのかも知れない。ただじっとコンクリートで固められた地面を見つめていた。
「帰りたいとは、思わないのかィ?」
「姉上に会いたい」
「……」
 今度は此方が何も言えなくなる番だった。もう二度と会えないあの人に、この子どもは会える。この子どもの世界はあまりにも狭い。だが、それゆえに見えるものがある。
「近藤さんにも会いたい、土方にも会いたい」
 この子どもは目の前にあるものがいつまでもそのままだと思っている。自分の世界が変わらないと思っている。なんて、愚かなのだろう。
「アンタは変わらない、その弱さも何もかも」
 ぽつりぽつりと零れる言葉は随分と鋭い。いつもよりも声が低いと感じた。
「俺は、強くなる。強くなって近藤さんや姉上を守るんだ」
 真っすぐ見つめる瞳はあまりにも純粋すぎた。その気持ちには嘘などひとつもない。何故なら、彼は俺だから。
「十年後のアンタは、確かに強くなった。組の中でも随一と言われるようになるくらいに」
 それは俺が望んでいたものなのだ。強くなりたいと思う気持ちが、今の俺の全てだった。けれど、強さの代わりに失ったものはあまりにも大きい。彼はそれを知らない、幼さゆえに。
「所詮は、無いもの強請りなんでさァ」
 俺が欲しいものを彼は持っている。彼が欲しいものを俺は持っている。過去と未来、決して混ざらない境界線の上に俺たちは今いるのだ。
 もし、俺が過去に戻れるのならば強さなんて求めない。そんなものなどいらないから俺はあの人に、隣でずっと笑っていて欲しかった。大切な人たちが隣で笑っているだけで幸せだったのに。いつからたくさんのものを求めるようになってしまったのだろう。

「強さの代わりに何かを失ったの?」
 そう無邪気に問う子どもは、何も知らない。
「……失ったのかも知れない。もしくは、最初から何も持っていなかったのかも知れない」
 自分でも酷く無感情な声だと思う。風にあおられて頭についた花びらを手で払い落した。目の前にいる子どもの頭にも同じように花びらがついていて、薄茶色の髪に淡い桃色のそれはよく映えている。払い落した花びらが再び柔らかい風にさらわれて宙を舞った。
 辺りは桜の木ばかりで、人の気配は感じられない。だからこそこんな世離れした雰囲気を作り出すことが出来るのだろうが。絶好の花見場所であろうそこは俺だけが知っていた絶好のサボり場でもあった。江戸から少し離れた場所にあるが、他人を此処でみたことが無い。人を見たのは今日が初めてである。他人、では無いが。
「俺は大切なものを持っている、もしアンタが俺ならアンタも同じように大切なものを持っているはずだ」
 ぽつりとそう言った子どもは美しい景色には目も向けず、ただじっとこちらを見ていた。花びらが変わらずにひらひらと舞い続けている。
「そうだな」
 だが、大切なものを作りすぎたのだと俺は素直に思った。あれもこれもと思っているうちに、いつの間にか全て手のひらからこぼれ落ちてしまった。二兎追うものは一兎も得ずなどと故人は上手いことを言ったものだ。
「持っているかも知れない、けれどそれはきっと…お前とは違う」



 狭い世界しか見ていなかった自分は、他の世界を知らなすぎた。言葉を変えて言えば純粋すぎたのかも知れない。それがどんな感情であれ。
 全てが言葉で言い表せるものだと思っていた、けれど言葉では言い表せないものも世の中にはたくさん存在している。自分と真選組の関係のように。きっと言葉で言い表せるものはそうじゃないものよりも、軽い気持ちなのかも知れない。
 仲間。そんな簡単な言葉で言い表せるものではない、それ以上に深い絆で結ばれている、と信じている。それは『愛』や『恋』なのかも知れないが、そうは思えない。考えれば考えるほど頭の中がこんがらがってきて分からなくなった。
「分からない」
 握っていた手に自然と力がこもる。切り揃えた爪が刺さって僅かな痛みを与えた。
 過去の自分がこうやって目の前にいることに、今更ながらも混乱していると感じた。この感情の正体が分からない。その正体不明の感情が己の中をぐるぐると這いずり回っていた。訳も分からず叫び出したくなる。
「くそ……」
 こっちが聞きたいくらいだと頭を抱えたくなった。目の前にいるのは誰でも無く自分なのに、どうしてこんなにも感情が渦巻いているのだろう。


 桜色に染まった地面を見つめる。反射した太陽の光がやけに美しく鮮やかに思えた。酷く純粋な視線を感じ、俺は顔を歪める。右手が自然と愛刀に向かっていた。

「此処は、アンタが生きていていい世界じゃない」
 伸びかけた右手をぎゅっと握りしめる。自分のものなのに、やけに冷たく感じた。
作品名:花籠に眠る 作家名:ひらめ