なみだをふいて
ロックオンの左目がゆっくりとひらかれていく。前と変わらないのはその色だけであった。みどり、澄んでいて、何所かの海のように吸い込まれていきそうな、エメラルドの。もう片方は白い眼帯でおおわれて向こうに何があるのかわからない。その眼帯をとったところで、何も存在しないのだろうとティエリアは絶望を感じた。
「ティエリア」
彼らしくない霞んだ声をきくと、また胸がしまる。その声にあわせるようにロックオンの左手がゆっくりと宙を浮かんで、触れるところを知らないティエリアの細い指をつかんだ。その左手はいつものように手袋をしていない。人間のあたたかでつめたい温度が、自分の手にも伝わって侵食するので、目を閉じずにいられなかった。こんなにも自分の手は冷たかった、とちいさく思った。
「悲しむなよ」
ロックオンはそう言って、ふたたびティエリアの手をゆっくりと絡ませて握る。指の間からも彼の温度が伝わってくる。
彼がそう言うのに、ティエリアは悲しまずにはいられなくなって、顔を歪ませた。そんな言葉を言わないでくれ。あなたはずるい、卑怯だ、本当にそう思っているのなら、求めているのなら、声には出さないで。ロックオンのそのままの優しさが、自分をひどく狂わせる。そしてロックオンが緩やかに悲しそうに微笑むから、胸の奥で彼の優しさがにじんでおさえきれなくなったのか、目の端からじんわり涙がたまって、そのうち溢れて止まらなくなった。ぽろぽろと大きな涙の粒が瞳から落ちてこぼれては、無重力の空間に浮かんでいく。
「あなたは、わたしに、何を求めているのですか」
いつものはっきりとした通った声でなく震えて息を吐き出しながら言うティエリアのまわりには、涙の粒がぽつぽつ浮かんでいる。
「泣くことも、悲しむこともゆるされないのなら、何をすればいいのですか」
ロックオンと重なる手も震えていた。そのうちティエリアはしゃくりあげるように泣き始め、浮かぶ涙の粒も大きくなって宙に浮いた。
ロックオンは自らの、ティエリアと絡まっている手を彼の頬へ運び、ティエリアの指先で、その涙をぬぐった。ティエリアの手が震えるので、なかなか丁寧にとはいかなかったけれど指先でぬぐった涙は消えることもなくしみつき、ひとつひとつちいさな粒となって浮かんで、ティエリアはこころのもやもやした拭いきれないものみたいなのが輪郭をすっと消したように落ち着いていくきもちがした。
するともう涙は瞼の下にたまることがなくなって、最後の一粒だけが、ティエリアの頬をすっとはしって消えてゆくのだった。
ゆっくり瞬きをすると涙が散る。それはティエリアの赤い瞳の色をうつして散らばった。
とつぜん、宙に浮いている涙の一粒が、ロックオンの本来は右目がある場所の、下の窪みに音を成さず落ちた。それは一瞬で弾けるように粒から液体に変わって、たぶん変わらぬ温度のまま彼の頬をつたって流れた。
彼のもう、赤い瞳もそこから流れ出る涙も銃のスコープも見ることのできない目が、涙を流している。
ロックオンは触れる涙に気づいたのか、一瞬だけ表情を変えたが、すぐに元に戻って微笑んでしまう。
ティエリアは、涙が消えた瞳ではっきりとその光景を見て、まるで彼は涙を流しているようだ、と驚いた。見えない、ひらかない瞼から流れ落ちる涙。 あなたが本当は悲しいというのを、僕は知っている。そして、悲しんでいるのに泣けないということも知っている。なぜならもうその役割を果たすはずの目は使えないからだ。
ティエリアは、もう自分は決断をしなければならないと静かに感じていた。認めるのも、望むのも、自分のきもちひとつで、それだけで変わってしまう。だから決断をしなければならない。マイスターになったのも、ひとつの決断だったように。
いつのまにか手の震えもとまって、彼のあたたかさも手になじむ。これが人間のあたたかさだ、とティエリアは、じぶんで確認するように思った。