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蓋の下は黙殺

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その男の着たコートは見た目の通り、柔らかな質感で首元の毛は指の合間を撫でた。ふわりふわりとした感触に、ほんの少しだけ絆されたような思いがしたが、この男は本当にただの男で、鬱陶しくて見ているだけで怒りが沸いて、つまり憎たらしくて憎たらしくて仕方ないそういう生き物だったのだとすぐに思い出して、平和島静雄はたちまち、折原臨也の身体を公園のゴミ箱の中に押し入れて、それどころか上から手元にあったベンチで蓋をした。
「ちょ、ちょっとシズちゃん!」
 中から珍しく慌てたような声がして、白い塗装がされた鉄の網目のゴミ箱が揺れた。回収のすぐ後のなのか中は随分と空いていて、人一人が入ったところで余裕がある。そんなゴミ箱ががしゃんがしゃんとうるさく揺れるのを聞きながら、静雄はベンチの上をぎゅうと抑えた。
 特に意図だとか策だとか、そういう面倒なものは無かった。ただ腹が立ったのと、運よく己よりも一回りほど小さな身体を掴み挙げることがかなったので、近くにあったゴミ箱に押し入れただけのことだった。
「ねえ、シズちゃん、どういうつもり?俺を捕まえたって何の得にもならないでしょ?それともこのまま放置?」
 虚勢なのかどうかが判断できるほど親しくは無い。それでもいつもよりも若干早口な声に、少なからず、臨也が静雄の反応によってはまずい自体になるのだと懸念しているのは知れた。「ははっ、それってどんなプレイ?」軽口も乾いていて、どうにも響かない。
 静雄は思った。もしかしたら、このままベンチを括り付けて横浜の海辺りに捨てた方が、いっそ世の中のためなのではないだろうか。この一人の男が居なくなるだけで、少なからずこの世の中が良い方向に進むのではないのかという希望を、静雄は臨也に出会った翌日ごろからずっと考えている。
 尊大で迷惑で変態で、酷薄なこの男はそれでも嘘ばかり吐いている害獣だ。害について言及すれば、己とて同じ分野の人間だろうが、立ち位置はそれこそ、日本とアルゼンチンほど違う。
 静雄はくだらない嘘や、明らかに人を馬鹿にした嘘、そして侮蔑の嘘が大嫌いだった。
 そして臨也の、愛を嘘に使う神経が、静雄には全く理解ができない。
 愛とはもっと重厚で崇高で、高潔なものではないのか。それを軽々しく不遜に、それこそ、嫌いとの比較のためだけに使っているようなこの男に、静雄はどうしたって好感を抱けない。もう嫌いだとか、そういう感情の問題ではない。脊髄の話だ。昔に比べるとずっと丈夫になった脊髄の話。反射的に反吐がでる。
 ならばいっそ、と静雄を白い塗装のはげかかった鉄臭いゴミ箱を見下ろした。その網目の合間からは鋭い視線が静雄を伺っている。静雄はそれを見返す。見返して見返して、そして小さく呟いた。
「もしてめえが」
「え?」
「愛してるって言葉を今後一切、絶対に吐かねえなら、見逃してやる」
 臨也は大きく目を見開いてそのまま黙った。静雄も黙った。琴線を弾くようなことがなければ、静雄の気は長い。静雄は臨也の返答を少しばかり待ってやった。風が強く吹く。昼間の公園には誰も居ない所為だろうか、通る風は静謐な匂いがする。
「無理だよシズちゃん」
「あ?」
 臨也はそう笑ったのだろう。ベンチの影で見えなかったが、あの吊り上がった口元から零れる吐息の音が聞こえた。親しい仲でもないのに、そんな音ばかりは覚えている。
「だって近いうちに言う予定だ」
 静雄はベンチの上から手を離すと、そのまま一歩下がり、そのベンチに踵をたたきつけた。凶悪な破裂音がして、木造のピンク色に塗られていたベンチは醜く破壊された。木片がゴミ箱の中に叩き込まれ、中からは悲鳴というには可愛げの無いうめき声が上がった。
 ばらばらと足にまとわりつく木片を払って、うめき声を上げるばかりでピクリとも動かないゴミ箱に静雄は背を向けた。「失せろ、もう来んな」煙草を銜えて、サングラスの位置を直して歩く。後ろは振り向かない、振り向きたくない。「シズちゃーん」振り向かない。歩く。
「また近いうちね」
 苛立っている静雄は、恐ろしく短気だった。すぐ近くにあったこの公園で最後のベンチを掴むと、そのままボーリングの玉でも投げるように、ゴミ箱に向かって投擲した。
 うざやしね、と内心で思って、声に出して怒鳴った。折原臨也など、さっさと愛を語る予定のもとにまで行って、そのまま二度と現れなければいい。



(Romance in DUST BOX)





作品名:蓋の下は黙殺 作家名:kiyuu