恋する食卓
夕食を共にするようになって、半年になる。
スライスしたレモンを皿の端に置いて、そうして息を吐く。
これから運ぼうとしているのは、彼のリクエストしたメニューの数々だった。
わかめの炊き込みご飯、鶏の唐揚げ、ポテトサラダ、あさりの味噌汁。冷蔵庫には食後のデザートが二つ、肩を並べている。
こうして調理した品々を眺める瞬間が、彼女は一際好きだった。彼にせがまれてやり始めた炊事だったが、変わり映えのしない毎日の中で、その時間は気分転換にちょうど良かったのだ。
「臨也、貴方は何飲むの」
少し声を張って尋ねると、「君と同じの」と軽快に返事があった。
「あれ、ビールなんだ。珍しい」
「飲みたい気分なの。悪い?」
「全く。俺も飲みたかったから」
正面でニコリと笑う顔を、綺麗だと彼女は思う。美しいと。
思うようになって、どのくらい経ったのだったか。
「いただきます」
両手を合わせて、耳に心地良い声で唱える彼に倣って彼女もそうするようになった。
「何か、思い出さない?」
「ああ…給食?」
「そうそう!楽しみだったなぁ、この献立の日」
「あさりとビールが、多少大人っぽさを演出してるかしら」
「ハハ…確かに」
「私は、揚げパンが好きだったわ」
「俺も!美味かったよね」
何だこの会話は。
我ながら疑問だったが、彼女は止めようとは思わなかった。思わなくなって…
「全部レモンかけるよ?」
「私がやるわ。貴方、指輪してるじゃない」
「…ふふ、ありがとう」
「っ…」
―――いや、もう考えるのは止そう。
きっと、考え出したら、羞恥で死ねるだろう。
「うん、美味しい」
「…」
アルコールの所為だろうか。彼女は知らず、とんでもないことを口走った。
「そうやって、笑っていて」
「え?」
「そうやって、笑っていて欲しいの。私には出来ないから。貴方が笑ってくれれば、私…きっと…」
あ、まずい。
感じた時には遅く、彼女の視界はぼやけて、頬を滴が伝い落ちた。
「きっと…何?」
「わかんない…わかんない、けど…」
ぽろぽろと零れる涙をどうすることも出来ず、彼女はハンカチを取り出そうとしたのだが。
「仕方ないなぁ…君、泣き上戸だったかい?」
気づけば皮膚には違うそれの感触があった。
「ふっ…」
「君の泣き顔を見たのは、初めてだな」
「ごめんなさい…」
「何で謝るんだよ」
優しい指が拭った滴に、彼の舌先が触れる。
頬が熱くなり、彼女は下を向こうとした。
「波江」
「あ…」
けれど、それは叶わない。彼女のぼやけた視界は、彼の瞳の紅でいっぱいになった。
「ねぇ、何で泣いてるの」
「わかんない」
「哀しいの?嬉しいの?」
「わかんない…でも、」
―――つらくはないわ。
本心だった。すると、彼は彼女を抱いて苦笑混じりに言った。
「玉虫色のお答えで」
仕方ないじゃないか。こんなのは(いや、こんなのも)、初めてなのだ。
まだ唇に残る異なる体温をなぞって、彼女はもう一度だけ思い切り泣いた。泣きながら、これからどうしようか考えた。
『恋する食卓』
「で、デザートは?」
「アイスよ。チョコとバニラがあるから、好きな方を選んで」
「…え、手作りのプリンアラモードじゃなく?」
「ええ」
「何でだよ…!俺、あれだけ食べたいって言ったよね!?」
「タイムアウトでした、誰かさんが余計な仕事を押しつけたせいで」
「…すみませんでした」
(その顔もなかなか良いわね)
(でも、可愛そうだから)
(明日作ってあげるわよ)
作品名:恋する食卓 作家名:璃琉@堕ちている途中