振り返って
「すごい、すごーい! ねぇねぇ、ボクたちあの向こうから来たんだよね!」
遥か遠く、空気に霞む山を指し、シャロンは興奮気味に叫んだ。そうしてはあちらを指し、こちらを差し、飛んでは跳ねたりを繰り返し、山道を駆け上がる。すぐ隣は崖であることはまったく意に介さないらしい。
「あまり走るな! 転ぶぞ!」
フッチはゆうるりと景色を堪能していた歩調を速め、遠く前を行く背中に叫ぶ。それにうるさげに振り返ったシャロンは、しかめ面で舌を出した。そうしてまた、変わらぬ足取りで駆けてゆく。
諦めたようにため息を一つ、フッチはせめてと少女の足元に目を配り歩いた。
山頂に近付くにつれ風が強まる。鬱陶しげに髪を押さえながら、フッチは眼下へと視線を移した。目的の街が見える。シャロンに知らせるべく顔を上げると、一層吹きすさんだ風に翻った布地があった。
不可抗力だ。
「……見た!?」
そう叫んで鋭く振り返ったシャロンは羞恥に頬を染め──いや、怒りに頬を染め、スカートを押さえながら眉を吊り上げて叫んだ。
不可抗力だ。
「……いいや? 何も」
不可抗力だ。
「その間がアヤしい! こンのむっつり!!」
一歩一歩暴言と共に戻ってくるシャロンの横をすり抜けるように、フッチは黙々と歩んだ。そうして今度は背後からの罵声を浴びる。後ろめたさからかしばらくは堪えていたが、少女らしからぬ卑猥な単語が混じり始めた頃、ようやく口を開いた。
急に立ち止まったフッチの背中に、勢いを殺せずシャロンが突っ込む。
「誰だお嬢さんにそんな卑猥な言葉を教えたのは! そもそも君のその格好はなんだ!」
目元を染め、少女の格好を指差し叫ぶ。
「なんだとはなによぅ! 竜洞の最新流行ファッションなんだから!」
言いながら、シャロンはスカートの裾を持ち上げ主張するようにはためかせた。フッチは思わずシャロンの腕ごとスカートを制し、深く息を吐く。ますます染まった少女の表情には気付かない。
「とにかく! 女性騎士の専用の下着があっただろう、それを──って、どうしたんだい」
ふるふると眸を潤ませるシャロンの視線を辿る。そうしてようやく自身の両手が少女の腕ごと太ももを掴んでいることを知った。──遠く、懐かしいブラックの声が聴こえた。(僕ももうそっちへ行くかもしれない)
「……もうお嫁に行けない……」
その石榴の眸よりも紅く紅く頬を染め、ふるふるとシャロンは零した。
「──責任は、取る」
常にない少女の様子にフッチは痛切に眉を寄せ、至極真面目な顔で重く言葉を紡ぐ。
「……お母さんに言いつけてやる」
潤んだ眸で下から睨み上げられ、とうとう走馬灯が見えた。
「──ミリア団長にもヨシュア様にも──お詫びのしようもない」
そうして、フッチは覚悟を決めたように瞼を閉じ、頭を振った。
「じゃあこの手をどけろエロフッチぃぃいいい!!」
瞬間、少女の見事な回し蹴りが決まる。そこでようやく未だ掴んだ手がそのままであったことを悟るが遅い。
甘んじてそれを受けたフッチが正気に戻った頃には、シャロンの姿はどこにも見当たらなかった。
これは、フッチが炎の運び手一行と出会う──少し前のお話。