無数のほんとう
好きなところを尋ねられても答えられない程度の愛情だと、本気で思っていた。
「パソコン、非日常、味噌ダレ焼鳥」
「え?」
隣を歩く静雄の声に、不意に顔をあげた。刺すような寒さの中、白い息が紡ぐのは聞き慣れた言葉ばかり。なんのことかと先を問うように首を傾げると、苦笑とともに髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜられた。
「お前の好きな物。なんだってわかるのに」
そして視線を前に戻す。自分ではどうにもできないという悔しさを伴った強い目。
「なんであいつを選ぶのかだけがわからねえ。こんだけ数えきれないほど人間がいるのに、どうしてあいつなんだ」
サングラスの奥の瞳が歪んで、ぎり、と無意識に歯を鳴らす。天敵を想像しただけで無意識に暴走しそうになる静雄の袖をそっと掴むと、我に返ったように僕を見下ろした。そして行き場のない感情を誤魔化すようにがしがしと金色の髪を掻いた後、「オトコの趣味が最悪だぜ、帝人」と苦笑する。僕は同じようにぎこちない笑みを浮かべて、「そうだね」と返した。自覚はしている。
実は僕自身、自分の感情を測りかねているというのもあった。これが恋なのか、ただの執着なのかも、まだわかってない。あの人がこれを遊びだというなら、僕にとっても遊びのままにしてしまえる、今はそういうレベル。この感情はまだ恋にすらなってない。それでも静雄は心配そうに僕を気にかける。こうやって、いつも。
「静雄はちょっと過保護すぎない?」
「…そういうんじゃねんだよ」
この気持ちはそんな純粋なモンじゃない、と静雄は呟いたけど、きっと聞かれたい言葉ではなかったんだろう。静雄ははあっと大きな溜息を吐いて続けた。
「あのノミ蟲のいったいどこがいいんだ?」
口にするのも癪だという素振りで静雄が歩調を緩める。待ち合わせ場所はもう目の前に見えていた。僕は彼の姿や普段の僕とのやりとりをひと通り脳裏に思い浮かべて、
「さあ。思いつかないなあ」
率直に口にする。予想外だったのか、静雄が軽く咽て足を止めた。
「な…、おい、帝人?」
「や、だって本当に思いつかないんだ。良いのって顔くらいなんだよね実際」
「なのに好きなのか?」
「うーん、好きかどうか自体も良くわかってないんだけどね」
逆に考えると、取り立てて良いと思うところが無いのに好き、それは却って厄介なのかもしれない。深みにはまりそうな気がするから。でもそれに気づいてしまうと何故だか僕の負けのような気がして、気づかない振りをした。静雄もきっとわかっていて聞かないでいてくれた。
静雄とは幼馴染で、何でも話せる親友のような間柄になってもうかなり経つ。それでも恋愛の話はしたことがなかった。「好きかどうかわからないけど特別に感じる人がいる」と打ち明けたときの彼は、いつもだったら見ることのないような複雑な表情をしていて、とても感情を読み解くことはできなかった。距離を測ってる、どちらも。
「…どこが好きかもわからないようなヤツなら、いっそ俺にしとけばいいのに」
ぽつりと自嘲気味に吐かれた言葉が、冬の空気に溶けて消えていく。どっちもまだ恋じゃないと答えるのと、聞こえない振りをするのと、同じ逃げならどちらがましなんだろう。そんなことを考えていたら、静雄の方から「馬鹿なこと言ったな、忘れてくれ」と先手を打たれる。僕には逃げる暇すら与えられなかった。顔を上げると数メートル先に待ち人の姿が見えてくる。自分より遅かったことへの嫌味がどんなものなのか、ある意味興味はそそられるけど、彼に向ける感情のすべてが静雄へのそれと全然違うかと言われたら答えられない。曖昧なのは僕の方だ。どちらも特別なのに、なにひとつ嘘はないのに、こんなにも違う。
「バーカ、考えすぎんな。お前が選んだなら、俺は受け止めるからよ」
逃げ道を、与えてくれたと思っていいんだろうか。そう訊いたらきっと静雄は僕を気遣ってただの自分のエゴだと言うんだろうから、今はそれ以上は訊かずにおいた。