SCC新刊・米普本サンプル
「え?」
思いもよらないアメリカの言葉に髪を拭く手を止めた。
今日はもうシェーネフェルト行きのフライトはないので泊めてもらえたのは有難いが、
明日の昼には帰国しようと自己算段をつけていたのだ。土曜にはドイツとヴァンゼー湖の
クルーズに出掛ける予定であったから、金曜のうちに仔牛の脛肉を煮込んで、シュトゥ
ルーデル用の生地も仕込んでおくつもりだった。
しっかり味をつけてほぐした脛肉をピリリと辛いラディッシュソースとともにふかふかの
白パンにはさんだサンドイッチを晴れ渡って煌めく水面を眺めながら食べる。これぞ
正しい週末の在り方だろうと一週間も前から楽しみにしていたというのに、目の前で
やはりきらきらと輝くブルーの眼をした若者は当然のように指折り話を進めてくる。
「ボストン美術館の東ウィングが完成したのはまだ見てないよね? アメリカン美術が
ぎっしりの展示だよ。それにサイエンスミュージアムでエッシャー展がやってる
んだ。君、そういうの好きそうじゃないか」
「まあ、嫌いではないけど」
「だろ? 午後はプレジャー・ベイの遊歩道がお勧めだよ。何ていっても道の両サイドが
海だからね。ちょっと長めの散歩になるけど、君なら体力的に問題ない……あれ?」
一人で戸板に水を流すようにべらべら並べたてていたアメリカが不意に自分の言葉に
引っ掛かったように言をり、勢いに押されて突っ立ったままだったプロイセンをじっと
凝視した。すっかり動きを止めてしまっていた手を下ろし、なんだよと戸惑いながら問う
のには答えず、寝そべりそうな程深く腰掛けていたソファから立ち上がってずかずか
プロイセンに近付くと、一切の脈絡もなくむずっと半袖のシャツからのぞく上腕を掴んだ。
「……なんだよ」
芸もなく同じ台詞を繰り返すが、アメリカはぐっぐっと二度弾力を確かめるように握りを
強くし、ふぅんと思案げな顔をした。それから手を離すと今度は自身の腕を同じように
数回握ってから心得顔になる。
「やっぱり」
「……なんだっつーんだよ」
「君ってイメージより筋肉ついてないんだね、昔はすっごく強かったって聞い、」
アメリカが最後まで言うのを待たず、ぶん、と振り抜かれた拳は寸分の躊躇いもなく
顔面に向けられ、称賛に値する反射神経でもってアメリカがかわしたにも関わらず拳の
端に掠られたテキサスは弾かれた。
「な……」
「よく避けたじゃねぇか」
咄嗟に二歩下がり間合いを取ったアメリカは、展開についてこれていないのが一目瞭然
だったが、全く構わずにプロイセンは自分のペースで左足を僅かに引いて構えた。
「何するんだ、いきなり! 危ないじゃないか!」
「誰が弱いって?」
「は……?」
「評判倒れかどうか試してみろよ」
ほら、と言いしなプロイセンは素早く踏み込んで、あえて大きな振りの蹴りを放った。
うわ、と悲鳴をあげながらも今度はどこにもかすらないように身を屈め、黒革のソファを
回り込んで防衛線を張る。
「ま、待ってくれよ、どうして急に」
「問答無用だぜ」
狼狽するアメリカを余所に、障壁であるはずのソファを身軽に飛び超えると、二撃目の
蹴りを今度は肩目がけて繰り出した。上半身を仰け反らせてやり過ごそうとしたアメリカを
プロイセンはソファとローテーブルの間という最悪の足場で器用に連打した足技のみで
追いつめてゆく。どうにかこうにか直撃だけは避けたアメリカはバランスを崩し、呆気なく
尻もちをついた。
「いっ……」
「なっさけねぇな。それでも世界の警察かよ、ヒーロー」
「……ヒーローは理由もない暴力は振るわないんだよ」
「口ばっか達所なところはヴェストと同じだな」
息一つ切らさず見下ろすとアメリカはむぅと悔しそうに口を尖らせ、「だっていきなり
だったし」などとぶつぶつ言うのでついつい微笑ましさに顔を緩めて手を差しだして
やった。その手を疑うようにじっと見つめるアメリカに、ひらりと一度指先を振って
促すと尖らせた口はそのままに、骨ばってささくれの目立つプロイセンの手を取った。
苦もなく引っ張り上げてから、自分の肩からいつの間にか落ちてしまっていたバス
タオルを拾い上げると、憮然とした表情のアメリカの頭にばさりと被せる。
「ぅわ……」
「修行が足りねぇな、青少年」
<スパコミ新刊『新大陸のコンパニオン』より>
作品名:SCC新刊・米普本サンプル 作家名:_楠_@APH