わたしはしってしまった
人間は自分と似た顔の存在が世界のどこかに三人、存在するというらしい。それをならってか否かは定かでないが、ヒトの姿を模して電子の世界に立つ我々にもまた三つ、同種の顔をした別モデルのプログラムがある。
まず一体目。ヘッドフォンのコードをくるくるとまとわせながら津軽の周りをいつも跳ね回っているサイケデリック臨也。およそそうは見えないのだがサイケデリックシリーズにおけるハイエンドモデルである。
これは省エネモードだと称して自身の等身を縮めてみせたり、他のプログラムへの干渉もやってのける。なんでも簡単に出来るがゆえにその内に秘めた高機能を疑いたくなるほどに見せる表情は幼い。正直に言ってしまえば同じ顔であることも時たま信じがたいと思っている。
そしてもう一体。八面六臂臨也。気だるげな表情で周囲を見回し、すいと活字で埋め尽くされた世界に没頭する。取り乱したりする様子を見たことがない。あの無愛想な面構えが僅かにでも和らぐのは好物である甘味を食べている時くらいのものだろう。
私は王子だから、微笑みもすれば歌いもする。しかし、自分の感情としてあからさまに表現することはあまりない。
八面六臂に関して私は、サイケと比べれば自分と近しいのではないかと思っていた。
四月一日は嘘をついても咎められない日である。サイケは津軽に嘘をつこうとして盛大に泣き出し、私は――私のことはさて置き、あの八面六臂だ。
くだらないと、そんなことをする必要性が全く感じられないと一蹴していたあの八面六臂が、なんの気まぐれだかその人間の風習に従っていたのだ。
「もう読書なんてしない」
そんな、嘘と呼ぶにはあまりにもお粗末な、その程度ならば冗談として日常で語ってみせても変わらないだろう些細な戯れだった。
文章を読むのをやめる。そう言ったが、そんなことが出来るはずないのだ。
いつも通りの真顔で語るからたちが悪いなと思ったが、その様子をぼんやり眺めていた私にだって容易に嘘だと分かったし、たとえ四月一日でなくとも簡単すぎる嘘だった。
八面六臂が読書をやめる。そんなことが、ブックリーダーであることを、自分であることを放棄出来るはずがないのだ。私が歌うこと、王子であることをやめないように。
しかし、言われた月島はこちらが見ていられないほどにうろたえていた。今日が何日なのかも思い至らず、およそ行事に微塵も興味を示さない相手が嘘などつくはずないと思っているからだろうか。
分厚い眼鏡に隠されたその瞳を窺い知ることは出来ないけれど、いつもはマフラーの下でぼそぼそと喋るあの月島が、まくしたてるように語ったのだ。
データを読み込んでいるその横顔が、紅の瞳の色がますます深まって、恐ろしいほどに鋭くなるのを、綺麗すぎて怖いけれど、それでもそれを見ているのが好きなのだと。
そこまで一息に言ったところではっとしたように口を噤む。
「でも、ろっぴが嫌になったなら…仕方な…っ」
ごめんなさいとだけ叫んで、月島はフォルダに逃げ込んでしまった。自身の空間に繋がるショートカットキーも消して、引きこもってしまう。
やれやれと視線を八面六臂に戻した私は見てしまった。
およそ表情を変えることがない、悲しむことも焦ることもないような、くるくると泣き笑うサイケの対極にあるようなあの八面六臂が、その頬を真っ赤に染めて照れたような表情をしていたのを。明らかに驚いていたのを。困ったような顔で、しかしほんの少しだけ嬉しそうだったのを。
わたしはしってしまった。
誰かを好きになってしまったらあんな風に笑えてしまうのか。
作品名:わたしはしってしまった 作家名:東雲