逆転池袋[DR臨+静]
人並み外れた力を初めて使ったのは、小学校の時だ。無駄にやかましく突っかかってくる同級生が、あまりに鬱陶しく幼稚な罵声を浴びせてくるものだから、思わず目の前にあった教卓を投げつけた。投げられた方も大層驚いたが、投げた自分も驚いた。しかしその一瞬の負荷は小学生の細腕には重機で圧迫されたようなものだ。軸にした左足と、教卓を持ち上げた右腕が折れた。そのまま救急車で病院行きになり、完治まで三か月かかった。
その後もとどまることは無かった。鬱陶しく突っかかって来るやつは懲りずに何度も人を変えて臨也の前に現れた。月日を追うにつれて悪口は高度に下劣になっていった。ついには妹たちに手を出す奴さえ現れた。その時の記憶は曖昧だ。怒りに我を忘れていた。気付いた時には気絶した人の山が出来上がっていて、最初に相手をしていた同級生はおろか、自分に突っかかってきたすべてを黙らせていた。呆然自失していた時に、妹たちは手を握ってくれた。きっと自分のことが怖いだろうに、汚れた自分を抱きしめてくれた。ありがとうと言ってくれた。思わず臨也は二人を抱きしめて泣いた。
それからは様々な努力をした。特に、不良と呼ばれてもせめて成績だけは維持しようと勉強をした。しかし沸点が変化したわけではない。やはり手を出して向かってくる奴らは気に障る。だから止められなかった。
誤算だったのは妹たちだった。自分に迷惑を掛けまいとしていたようで、どんどんとおかしな方向に行ってしまった。それでも自分を慕ってくれることに変わりはなかったから、特に何も言わず、それが妹たちなのだと考えた。
愉快適悦。それは平和島静雄が世の中に対して思った感想だ。
自分が人に好かれる容姿をしていると気付いたのは意外にも早く、周りには人懐っこい子どもだと映っただろう。自分は周りとは違う。最初はちょっとした幼いながらの自尊心だったのかもしれない。読み書きも計算も他の子どもより早くできたし、難しい言葉もたくさん覚えた。中学に進んで初めて英語を語学として学んだときは、分からないと思うことはなく、むしろ楽しかった。同じ人でありながら、ここまで文化が違うのかと感動した。
そんな自分を反面教師にしてか、弟は反対に静かな性格になった。喧嘩することもなく、傍から見れば仲のいい兄弟に映ったかもしれない。実際は微妙に違った。自分が人間に興味を持ったのに対し、弟は兄に好かれようと完璧な人間になることに興味を持った。それはそれで、身内ながら面白いかもしれないと、弟さえも観察対象になった。そこに家族としての愛情はない。
何事もそつなくこなし、誰にも分け隔てなく接する静雄は教師の評価も上々、生徒たちからも、すこし変わっているが頼られるリーダーと認識された。中学では校則に触れるようなこともあったが、表立っては何もしなかった。気にくわないと突っかかってきた同級生たちは言葉と、ちょっとしたことである意味で穏便に済ませた。
『相手の要求』を持っていれば、簡単に人は動かすことができる。一方で人形のようには思い通りに動かない。もはやゲームのような感覚だった。飽きの来ない非道なゲームだろうと静雄は自分の行為を皮肉った。それでも止めることはできない。たちの悪い麻薬の様だ。昨日も今日も明日も、静雄は携帯を片手に人間観察に浸っている。
高校に入って、この二人は出遭った。引き合わせたのは共通の友人の岸谷新羅。
来神高校のグラウンドで、臨也は肩で息をしていた。今しがた、大群で押し寄せてきた不良たちを叩きのめしたところであった。グラウンドは荒れ、あるはずのないものが散らかり、サッカーゴールがありえない向きで転がっていた。死屍累々の中、意識の戻った何人かが走り去っていった。後は追わない。面倒なうえに、意味がない。二度と来るな。そんな思いを込めて背中を睨みつけた。
ふと、背後から拍手音が聞こえた。振り返れば新羅が立っている傍に、金髪の学生が指令台の上に座っていた。長身に見合った長い脚を組んで自分を見ていた。面識はない。
「へぇ、お前が折原臨也か」
意外と細っこい奴だな。どこにそんな力があるんだ。ひょいと指令台から飛び降りると静雄はくるくると臨也の周りを回った。身長差もあるが、見下ろしてくる視線に気分が悪くなった。
「そいつは平和島静雄。中学からの友達なんだけど、いい奴じゃあないよ」
「酷いなぁ、新羅」
静雄は苦笑しながら新羅の方に視線を向けたが、その表情に臨也は気持ち悪さしか感じられなかった。
腕に触れようと伸ばされた静雄の手を払い、敵意を視線に乗せて言い放った。
「気に入らない」
「へぇ」
瞬間、静雄の目の色が変わった。相変わらず興味は消えていなかったが、偽善で覆われていた悪意が現れた。あぁやっぱり。臨也は下がった静雄を追い、拳を振り上げた。
「ちょ、臨也」
突然向かってきた二人から逃げるように新羅は安全な場所まで下がった。
そのまま二人は指令台に突っ込んだ。しかし臨也の拳は静雄を捉えてはいなかった。一体どこに逃げた。臨也は周りを見回した。見当たらないが、いないはずはない。
刹那、何かがきらめいた。
「ッ」
それがナイフだと気付いた時にはすでに一線され、咄嗟に盾に使った右腕は袖が半分切れ、皮膚も浅く裂かれていた。ナイフで切りつけられたのは初めてだった。腕を走る痛みは本物だ。
「ほら、」
――― 楽しいだろう?
静雄は真っ直ぐナイフの切っ先を臨也に向けて挑発した。上等だ。そう言わんばかりに臨也も睨み返し、おびき出すように走り去った静雄の後を追いかけた。
それから八年、もはや運命ともいえる因縁は続いた。
昼の引っ越し業者から夕方のバーでの仕事まで少し時間があった。服はすでに着替えていた。ドラマに影響されてだろうが、妹たちが無駄な量をくれたバーテン服が役に立っている。臨也は胸ポケットからイヤホンを取り出した。音楽を聴いてれば、苛立つ言葉も声も聞こえない。
今日もその手法で時間まで散歩をしているつもりだった。曲は妹たちが入れてくれた邦楽。羽島幽平という俳優が主演をしていたドラマの主題歌だった。
不意に視界が陰った。
「よぉ、リンちゃん」
「!」
臨也はばっと背後を振り返った。
すると、黒いコートを羽織った金髪の青年がバランスよくフェンスの上に立って、丁度降り立ったところだった。この男の声だけは、何をしていても耳に入ってきた。
「引っ越し業者とは、また便利な仕事を見つけたもんだなぁ」
化け物の癖に。静雄は薄く嗤った。昼間から見ていたようだ。この男は一体どこまで。条件反射で込み上げる怒りにまかせて、臨也は目についたカーブミラーを引っこ抜いて静雄に向けて構えた。
「何か用かな?」
「そんな規格外なもの向けられちゃあ、喋るに喋れねぇよ」
かくいう静雄も、袖口に忍ばせていたナイフを臨也に向けて構えた。
「言ってることとやってること、違うよね」
「まぁ、要はさ」
――― かかってこいよ、
口の動きだけだったが、それでも臨也には十分に伝わった。仕事まで時間はある。今日こそ息の根を止めてやる。臨也はカーブミラーを投げた。
作品名:逆転池袋[DR臨+静] 作家名:獅子エリ