辛いといえない君に送ろう
闇の世界でポツリとうずくまる少年の夢をよく見る。
見たことのある、少年の夢だ。俺はその少年の数歩後ろにつったったまま、拳を握りしめている。
代わり映えのしない、いつも同じ夢の繰り返し。
俺は華奢な小さい背中を眺める。小刻みにふるえる肩を見つめる。
君は誰かにはき出すこともなく、当たり散らすわけでもなく、ただただ己の中に押し込めてしまうんだ。
それを君は当たり前とし、常としている。それが俺は嫌で嫌でしょうがないのに。
「ねぇ、帝人君。辛くはないの?」
夢はいつもそこで終わる。うたた寝をしていたのか、あたりはもう日も暮れて夕暮れ時も過ぎていた。
現実世界でも、夢で呟いた言葉を囁いてみる。
けれど、呟いてみても答えはない。暗い闇の中でPCのディスプレイが光るだけの世界。
俺は指をくんで背中を背もたれに預けたまま瞳を閉じた。
視界を閉じれば、思い浮かべるのは無理に笑った白い笑顔。
そんな、あんな顔をさせているのは、させたのは他でもない自分自身なのに。
言いようもない焦燥と、圧迫感が胸をさいなむ。痛い痛いと悲鳴を上げる。
するといつも心の悪魔が顔をのぞかすのだ。辛いなら消してしまえばいいのだ、と。
そう、俺には簡単な事だ。紀田正臣と、平和島静雄と同じように消してしまえばいい。
この池袋から、東京から、消すことくらい造作もない。造作もない、はずなのに。
「どうして俺は動けないんだろうね」
分かっている答えに蓋をして、自問自答を繰り返す。
乾いた笑いが漏れたが、それもすぐに苦笑に変わり、そして最後にはやはり苦渋の笑みへと移り変わる。
胸の圧迫は収まることを知らず、吐き気を催す。
世界は気がつくと藍色に染まっていて、窓ガラスから見下ろす景色は玩具箱をひっくり返したかのようなざわめきで明るく煩かった。
ふと、窓ガラスに視線を移せばそこに映った己の顔色の悪さに眉を寄せる。
青白く、脂汗を掻いて何とも滑稽だ。
「ばっかみたい・・・たかだか高校生の、たった一人の人間にこの俺が・・・この俺が・・・」
そう、この俺が心揺さぶられ、奪われ、こうも縛られるなんて。
分かっていても、認めたくない。認めてしまったら、たぶん、否きっと、感情のあらぶりとと共に涙を流してしまうから。
だから、俺は認めない。知らないふりをして蓋をする。
それでも、けれど。頭からはやっぱりあの子の寂しそうな横顔が、辛いくせに笑ってみせる笑顔が、離れない。
「あぁ、もう・・・知っているよ分かっているよ」
ぐるぐる視界も回ってきているかのような気分になって気持ち悪い。
俺は息を重たくはき出すと、携帯を取り出して、とっくに登録してあったあの子の番号に電話をかける。
金属特有の冷たさを耳に感じながら、機械音をしばらく聞いた。
時計を確認しなかったが、あの子のことだからきっと起きているだろう。
しばらくして、どこか舌っ足らずな聞き慣れた声が鼓膜を揺らす。
『ん、いざやさん?どうしたんですか・・・』
「あれ、もしかして寝ていたかな?」
思惑とは反していて、寝起きのような声が少しくぐもって聞こえる。
その声に俺は眉を寄せる。また胸がぎしりと軋んだ。
『あ・・・、そうみたいです、ね』
「こらこら、ちゃんと布団で寝てね」
『ふふ、はい。えっと、それで・・・何か僕に用、ですよね?』
どこか不安げな探りを入れてくるような声音。きっとダラーズで何かあったのかと感くぐっているのだろう。
俺は奥歯を噛みしめると、静かにできるだけゆっくり話し出す。
「帝人君。帝人君は人に迷惑をかけたくないとか考えて、いっつも自分の中に押し込んで押し込んでさ。
誰に告げず、相談せず、独りで全部考えて決めちゃって。それは君の美徳だと思うけどさ、一人くらい頼る相手を見つけても良いんじゃない?」
『え、え?臨也さん?なにいって』
「だからね、俺だけには頼ったって良いって言っているんだよ。
ダラーズのことも俺になら頼れるだろう。君の手足の子供達なんかよりよっぽど頼りがいがあると思っているけど」
『いざやさん・・・』
偽善者め、と誰かが俺の頭の中で罵倒する。分かっているさ。知っているよ。俺が偽善者だと言うことを。
それでも、あの子の中だけでも、俺はいい人であり続けたいんだ。それがたとえ、最大の裏切りだとしても。
「抱え込まないでよ。そんな辛い笑顔を見せるくらいなら泣いて?俺の胸くらいいくらでも貸すからさ」
『・・・臨也さんの胸って他の女の子達から恨まれちゃいますよ・・・』
「俺の胸は帝人君専用だよ。なんなら今すぐにでも行ってあげようか?一人で枕を濡らすよりかはずいぶんと心が軽くなると思うよ」
『っ!』
「君が許してくれるのなら、俺は今からでも向かう」
『臨也さん・・・っ』
俺は、俺のしたことで悲しむ君に、偽り無き言葉を送ろう。俺の本心、俺の真実。
俺の行動も、思考も、これからの出来事も全て隠していってしまう、せめてもの償いに。
俺の心だけは君にさらけ出そう。君にだけに、送ろう。
「辛いときには頼って欲しい。迷惑とか言わないで。だって俺は君を、愛しているから」
愛しているこの気持ちに嘘、偽りはない。
作品名:辛いといえない君に送ろう 作家名:霜月(しー)