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ラボ@ゆっくりのんびり
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novelistID. 2672
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ブラックティーの涙

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 雨粒が窓を叩く音だけが響くような静かな夜は、意図せずあの日を思い出す。
 あのとき降り頻った雨は興奮に火照った脳を醒ますような冷たい雨だった。
 あの日はもう手の届かない遠い日だというのに硝煙の匂いも煙の白さも雨粒が叩き付けた痛みも、そして彼の涙混じりの声すら忘れることが出来ない。鮮明に記憶してしまっている。
 忘れることが出来ないなんて女々しいなと自嘲しながら、暴風に煽られ窓にぶつかり続ける雨粒の音を聞きながら、部屋の中に散ったものを片付けていた。
 あの日、望んでいた自由をこの手に勝ち得ることができたというのに、大陸に戻ってからも気持ちが晴れることはなかった。上司の称賛と国民の歓喜をこの身体一身に受けながら何故か俺は心から笑うことができなかった。その理由がわからないまま、独立に際しての面倒事を片付けるのにてんやわんやだった所為で静かに彼を思い出すことはすぐに出来なかった。だがようやく全てが終息し、久方ぶりに与えられた休日が今日だ。何をしていいのかわからず手持ち無沙汰な時間を半日ほど過ごした。けれど静かな夜になり、雨の音を聞いていると気分が滅入ってしまいそうになった。だから自分で紅茶を淹れてのんびりとそれを飲みながら散らかった部屋を片付けていると、脱ぎ捨てた服の下からグリップに深い傷のついたマスケットを見つけた。


「………」


 敵に情けをかけるな、と、冷たい目で言い放たれた声がリフレインする。
 冷酷という言葉が似合うその視線を受けて背筋が粟立った。あの時、俺の目の前には俺が知らないかつての彼がそこにいたようだった。
 グリップを握りながら一度強くゆっくりと瞬きをする。安っぽい暗闇が晴れて、再度深く刻まれた傷を目にしながら、俺はそのマスケットを放るように倉庫に投げた。新たな傷が付こうが、壊れようが、構わなかった。がしゃんと大きな音がした直後、濛々と埃が立ちこめて一瞬視界が白くなる。霧が晴れていくようにすぐに視界は開けたけれど、不意に心に去来した靄は晴れてはくれなかった。
 冷えて温くなった紅茶に口付ける。風味も何もないそれは、ただただ不味いだけだった。彼が淹れた紅茶は例え冷えてしまったとて風味を損なうことがなく、逆に温くなったことで新たな風味を見つけることが出来たくらいだったというのに。見様見真似で淹れた紅茶は、それでも彼が淹れたそれのように美味しくなどならなかった。
 ティーカップを持ちながらキッチンへ移動する。シンクの前に立って、ポーセリンのカップを傾けた。ぼたぼたと水の落ちる音が響いた。薄く紅い色をした水が渦を描くように消えていく。


「さよなら」


 ぽたり、と最後の一滴が落ちきったときに呟いた。
 最後の紅茶が飲み込まれていく様を見ながら、ふと、彼の声が心の中に甦った。俺を心底憎んだような声色も、冷え切った言葉も、そして最後に涙交じりで俺の前に座り込んだときの慟哭も。幼い頃差し出された手も、太陽のようだった柔らかな笑顔も、世辞にも上手いとは言えない料理ですら、今、まるで華やかな思い出のように甦った。
 とん、と音を立ててカップを置く。そのままきつくきつく目を閉じる。
 さよなら。
 これから俺は、ずっとあの時の言葉を、思い出を、全てを抱いて歩いていく。
 さよなら。

 さよなら。