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ラボ@ゆっくりのんびり
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おやすみ、いい夢を。

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 いつでも手を伸ばせば必ず触れられる距離にスペインはいた。どんなときでも振り返ればスペインはそこに立っていてくれた。
 例えば夜中にふと目が覚めて静かな夜の中にいると、まるで世界中に自分ひとりしか存在しないような怖さを覚えてふいに涙が出そうになるたびに、すぐ近くにいるスペインのぬくもりがいつもロマーノをひどく安心させていた。
 スペイン、と名を呼ぶと、いつも優しく笑って「どうしたん?」と尋ねてくる。ロマーノは昔から決して素直な子どもではなかったから、「怖かった」や「寂しかった」なんて口が裂けても言えなかったものだが、スペインはそれらを全て見透かしたような笑みを浮かべて小さなロマーノを抱き上げていた。
 今では大きくなったロマーノを抱き上げることは困難だったが、それでもスペインはずっとロマーノの近くにいる。それだけは決して変わらない。


「………」


 夜中、久しぶりに目が覚めた。怖い夢を見た気がしていた。細かいところまで覚えていないけれど目が覚めたとき目尻に涙が溜まっていたくらいだ、きっとひどく怖い夢だったのだろう。夢の内容を覚えていないのはロマーノにとって不幸中の幸いだった。覚えてしまっていれば目が覚めた今でも夢の残滓に怯えなければならない。
 けれど覚えていないというのもロマーノの心に恐怖の闇を引きずり込んでくる。どんな夢を見たのだろうと気にしないように努めても考えてしまう。涙が出てしまうほどの夢とは一体どんなものだったのだろう。
 ロマーノは大人になっても泣き虫のままだったが、夢を見て泣くのはおねしょ然り大人になるにつれなくなっていった現象だった。だというのに今目覚めると泣いていた。果たしてどんな夢だったのか、気にしまいと思いながらも考えてしまうのは仕方がないことだった。
 ロマーノの頭の中に最悪の思い出がいくつか思い浮かぶ。
 弾丸の雨の中ひとり走る夢を見たとき、泣いた。小さな子どもの頃だった。
 ロシアに分割される夢を見たとき、泣いた。小さな子どもの頃だった。
 祖父が亡くなるのを夢でもう一度見たとき、泣いた。やっぱり小さな子どもの頃だった。
 家で出る食事がすべてイギリス料理になってしまったという夢を見たとき、泣いた。子どもから大人になる途中の頃だったと思う。
 ハロウィーンでもないのに代わる代わるおばけが家にやってきた夢をみたとき、泣いた。ちょっとだけ大きくなった、少年の頃だった。
 いくつもいくつも、過去にロマーノを泣かせてきた夢の内容が思い浮かぶ。当時は泣くほど怖かった夢も、今思うと懐かしいとすら感じられた。
 しかし、ふと頭の中に浮かんだある夢を思い出すと、懐かしいなんて思えずに、今でもふいに涙腺がゆるみそうになった。
 その夢にはスペインが出てきていた。
 夢の中のスペインはいつもの柔らかな笑みを浮かべておらず、ただ冷ややかな視線をしたまま目の前に座り込んだロマーノを見下ろしていた。


「ロマーノ」


 視線だけでなくロマーノを呼ぶ声も冷たかった。思わず背筋が震えた。スペインを怖いと思ったのなんてそのときが初めてだった。


「俺、もう我慢出来ん。お前と暮らせへん。出てってくれんか」


 薄らぼやけた夢の中で、ロマーノは「どうしてだよ」とかそんなことを言った記憶がある。ロマーノのその言葉を受け、スペインは嘲笑うように口唇を少し持ち上げて、殊更冷たい言葉を発した。その言葉だけは今でも鮮明にロマーノの記憶の中に残っていた。


「お前じゃなくて、イタちゃんと暮らすことにしたんや」


 ふいに、現実のロマーノの涙腺が緩んだ。
 夢の話だ。現実のスペインは絶対にそんなことを言うわけがない。ロマーノがうざったいと思うほどロマーノを大事にしてくれて、そしてずっと守ってくれていた。そのスペインがそんなことを言うわけがないだろう、ということは誰よりロマーノが知っていたけれど、夢の中のスペインは惑うことなく躊躇いもせずその言葉を投げつけた。それが怖かったし同時にひどくショックだった。その夢を見たとき、涙はいつもの悪夢以上にあふれて枕を濡らしていた。
 夢を思い出すだけで今でも涙が出てきそうになる。元来涙腺の緩いロマーノに涙を堪えるということは難しい要求で、一筋の涙が頬を伝ったのを皮切りにボロボロと涙が零れ始めた。それに呼応するように喉が震える。嗚咽を堪えようとしても呼吸がしにくくなってきていた。ひっ、と喉が震える。ボロボロと涙はあふれて止まらなかった。
 夢の思い出だ。決して現実にスペインが言うとは到底思えない言葉だ。
 それは分かりすぎるほど分かっていた。けれどロマーノの夢の中でスペインが放った言葉が、心の一番やわらかな部分に痛いくらい突き刺さってそこからドクドクと血が零れていた。それがさらに涙を誘う。
 今、隣で眠っているスペインがそんなことを言うわけがない。そんなことは分かっている。しかし夢の中で辛辣な言葉を放ったスペインがあまりに現実味を帯びていたから、ロマーノはただ泣くしかできなかった。夢の中のスペインは他の諸国と同じように自分ではなくヴェネチアーノを選んだ。お前はもう要らないと、他の誰でもなくスペインにそう宣言された。


「……ロマーノ?」


 嗚咽を堪えてやわらかいベッドの中に潜ったロマーノの横から掠れた声が聞こえてきた。寝起きのスペインの声だ。ロマーノはさらに嗚咽を堪えることに努めたが、そんなロマーノを嘲笑うかのようにロマーノの喉が引き攣って大きな涙声が一度響いた。


「ちょ、ロマーノ、どないしたん? おなかでも痛いんか?」


 覚醒したスペインの声がロマーノの耳に入る。温かい手のひらが布団越しにロマーノの背を撫で、そのぬくもりに安心しながらロマーノは頭を振った。すん、と一度鼻を鳴らしてベッドの外に顔を出す。薄暗闇のなか、心配そうにロマーノを見つめるスペインの瞳に夢の面影はどこにも見当たらなかった。それだけで嘘のように涙がひいていく。
 スペインの手のひらがロマーノの頭の上に置かれた。心配そうに覗き込んでくる瞳に薄く笑んで応える。


「怖い夢見ただけだよ」

「そうなん? 怖がらんでええよ、何が来ても俺が守ったるからな」


 だから大丈夫。そういうようにスペインがロマーノの額にキスを落とした。
 スペインの言葉はいつも魔法のような効力をもってロマーノを救う。スペインが守るといえばロマーノは子どもの頃から何も心配しないで済んだ。守るといった今の言葉も、何の疑問も持たずに水が砂にしみこむように素直に受け止められた。


「ロマーノ、まだ早いから寝たほうがええよ」

「……ああ」


 ぽん、ぽん、とまるでぐずる子どもをあやすように優しく背を叩かれる。一度叩かれるたびに眠りの淵がロマーノをいざなった。段々と瞼が重たくなっていく。とうとうそれに逆らえなくなったとき、スペインが「おやすみ」と呟いたのが聞こえたような気がした。
 今日はきっともう悪夢など見ない。
 ロマーノはそう確信して、ゆっくり意識を手放した。