罪と罰
直接胸のなかをその大きな手で握り締められたように、どくりどくりと大きな音を立てて心の臓が跳ね上がる。聞こえやしないかとびくびくしながらロマーノはすぐ隣で寝転がっている男の顔を盗み見た。
その日、昼間は雲ひとつない快晴だったというのに夜になるにつれ重たい雲が空を覆い始め、夕食の時間になるととうとうぽつりぽつりと雨粒が窓を叩き始めた。冷たくなった窓に手をあてながらロマーノが曇天を見上げるとそれを見計らったかのように光の閃光が目を焼く。その直後鈍く重たい音がスペインの屋敷中に響いたものだからロマーノは飛び上がらんばかりの勢いで驚いてしまった。それを見てスペインは薄く笑顔を浮かべ、「せやったら今日俺の部屋で一緒に寝よか」と提案した。ロマーノの頭の上にその大きな手のひらを置きながら。
雷雲は二人がベッドに入ったあとも遠退く気配がなかった。大きな窓についた分厚いカーテンをぴっちり閉めても、ふかふかの毛布の中にすっぽり潜り込んでも、その鈍い音はロマーノの耳に直接届いているのではないかと思うほど鮮明に響いていた。もちろん閃光も閉めたはずのカーテンの隙間から容易く進入し、部屋を白く染め上げる。その度にビクビク反応するロマーノを、スペインは優しく宥めながら眠りへ誘おうとしてくれた。
けれどロマーノに安息の睡眠が訪れることはなかった。雷が怖いことも理由のひとつだが、すぐ隣にスペインが居るというそれだけでもう眠れなくなる。心臓がうるさいくらいに早鐘で鳴り響き、顔はインフルエンザにでもかかってしまったのではないかと勘違いしてしまうほどに真赤になってしまうのだ。スペインが「トマトみたいやんな」とからかうほど真赤に。
ベッドに入るとき一糸纏わぬ姿になるのは幼少からの習慣だった。けれどその習慣が今こんなにも面映ゆく感じる。隣にスペインが居る状態で、共に生まれたままの姿で横たわっているのだ。まるで秘め事を終えたばかりの恋人同士のようにロマーノには感じられた。そしてその考えが更にロマーノの頬を赤く染め上げた。自分の思考に恥ずかしさが止まらない。うう、と羞恥から小さく唸ると、スペインの声がかかった。
「……ロマ、どないしたん? お腹でも痛いんか?」
「……………なんでもねぇよ、コノヤロー」
そうぶっきらぼうに答えるしか出来なかった。浮かんでいた考えを言えるわけがなかった。
スペインは「そうか」と答え、そうしていつものようにぽんぽんと頭を優しく撫でる。きっと眼差しも優しいことだろうと暗闇の中では見えないスペインの眼差しを思ってロマーノは猫のようにその心地良さに目を細めた。やがて離れていってしまう温もりを、心の中で惜しく思いながらもそれを素直に口にする術をロマーノは知らない。
―――ヴェネチアーノならこういうとき素直になれるんだろうけどな。
いつも笑顔を絶やさず、周囲に愛されている弟を思い出し、ロマーノは口唇を噛んだ。
弟のことは嫌いではない。けれど素直に好きだと認めることも出来ない。ヴェネチアーノに関して、ロマーノは常にコンプレックスの塊で在り続けた。
「お、雷遠くなってきたなぁ」
「………ん」
「ロマ、悪いんやけど、親分もう眠ぅなってきたわ。そろそろ寝てもええ?」
「別に…さっさと寝れば良いじゃねーかよ。……起きててくれなんて頼んだ覚え、ねーぞ」
「はは、せやなぁ。……じゃーおやすみ、ロマも早よ寝るんやで」
おやすみ、と返す。
気付けば部屋の中には雨音だけが響き出し、時折思い出したように小さな雷鳴が轟くだけだった。閃光も徐々に弱弱しいものになっていく。
ロマーノも安心して目を閉じて眠ろうとする。柔らかな枕に頭を埋めると、不意にスペインの香りが鼻腔を擽った。そうだここは自分の部屋ではないのだと唐突に思い出す。部屋の大きさや間取りこそほとんど変わりはないが、置かれた私物や部屋が内包する空気の匂いはロマーノのそれとは全く違う。もう一度、深く息を吸い込む。スペインの香りが、した。
ゆっくりと雨音に沿うようなスペインの規則正しい呼吸が耳についた。
スペインを起こさないように気を配りながらゆっくりと身体を起こす。隣で眠るスペインを見下ろしながら、どうしようもなく“スペインに触れたい”と思う自分の気持ちに内心で半ば驚愕していた。普段のロマーノならそのまま赤面してスペインに背を向けるだろうが、このときロマーノは部屋中に漂うスペインの匂いに頭が麻痺していた。
眠るスペインの顔の横に手を付く。ベッドが鈍く音を立てる。けれどスペインは起きる気配がない。
ゆっくりと、顔を下ろしてゆく。
(スペイン、)
心の中で名を呼びながら瞼を閉じる。そのすぐ直後に口唇に柔らかなものが触れた。その場所は優しげで温かなぬくもりを湛え、ロマーノの口唇に弾力を与える。全てを許容してくれるようなその感覚に、ロマーノは太陽の下で笑顔を浮かべるスペインの姿を思い出した。そして何故か自分の双眸に涙が滲み始めたことに気付いた。
名残を惜しみながらゆっくりとスペインから離れる。見下ろしたスペインは目を開けることも、笑顔を浮かべてロマーノの名前を呼ぶこともない。
窓の向こうで遠雷が轟くのをロマーノの耳が拾った。まるで罪を犯したロマーノを責めるように鳴っているようだとロマーノは漠然と思った。
作品名:罪と罰 作家名:ラボ@ゆっくりのんびり