陽だまりの歌
「大佐?何やってんだ、こんな所で」
おや、鋼の。
低く柔らかく響いた音に、不覚にもどきりとなった。
「で、何してんだよ」
とすん、と隣に腰掛けながら、エドワードはちらりと視線だけを男に寄越した。
久方振りの逢瀬。北へ東へ旅をする根無し草のエドワードにとって、こうやって司令部に報告書を提出する時だけが、この男――ロイと唯一接触出来る、貴重な時間だった。
男にそう言われた所為も多少はあるものの、だから此処へ訪れる時は余程の事が無い限り、エドワードは事前に連絡を入れる様にしている。然しながらそう表立って言うのは憚れる。(男は気にもしない様だが自分は一応、世間体というものを気にする心位は持ち合わせていると、エドワードは少なからず思っている)なので、エドワードは専ら「資料提出に上司が居ないのは困る」と、男にも周りの人物にもそう言っていた。
今回も例に違わず前以て連絡を入れ、更には大まかとはいえ時間指定までしていたのだ。それなのに、この男は。
「そんで、偉大なる大佐様はなーにをこんな所でしていらっしゃるんですか?」
きっとかわされるであろう事を予想して、けれどそれを予測出来る(そしてそれは十中八九、当たっているだろう)己に歯噛みしながら、殊更嫌味ったらしく言葉を紡げば、矢張り歯牙にもかけぬといった風情で男はにやり、と笑った。
つくづく腹の立つ男だと、エドワードは苦虫を潰したかの様に、眉間に皺を寄せた。
「見て分からないかい?休息を取っているんだよ」
「部下は忙しく動いて仕事をこなしてるってーのに、その上役はのうのうと日向ぼっこってか。平和で何より」
「何を言うか。適度な休息は激務をこなすには必要不可欠。こんなに天気が良いんだ。外に出て休憩を取ろうと思っても、不思議はないだろう?」
本当に嫌な男だ。エドワードは今度こそ遠慮なく渋面を作った。
自分も相当に屁理屈を捏ねるタイプだと自負しているが、この男はそれ以上だ。その滑らかに動く舌は、一体何処から培われているのか。
エドワードはこんな大人にはなるまいと、密かに心に誓いをたてる。
穏やかな、本当に気持ちの良い午後だ。
ゆるりと時折吹く風は頬を撫ぜ木々を揺らし、降り注ぐ陽の光は活き活きと草木を輝かせ、人々を程好く温める。男が外に出たいと思っても、何の不思議も無かった。
ぼんやりと景色を眺めながら、つらつらとそんな事を考えていたら、ふいに右肩に重みが掛かった。何事かと視線を横にずらすと、漆黒の髪が視界一杯に広がる。そこで漸く、男が頭を預けたのだと理解した。
「大佐?」
「一時間だけ頼むよ。序でに君も一緒にどうだ?」
「………この状態でどうやって眠れと?」
このまま寝入ったりしようものなら、首が痛むのは目に見えている。出来ればそれは御免蒙りたい。大体一時間後に起こせと言っているくせに、一緒に寝ようものなら時刻を知らせる人物が居ないではないか。性質の悪い男はエドワードの心境を踏まえた上で、そう言ってくるのだ。下から漏れ出ている笑いの吐息が憎らしい。
良いから寝ろ、と口を開きかけたその時、男の掌がそれを邪魔した。
「まあそう言わずに。偶にはこういうのも良いだろう?」
不自然な体勢で撫でられる頭は、お世辞にも心地良いとは思えない。けれど、暗示を掛けられた哀れな子羊の様に、エドワードは微動だに出来なかった。
それを知ってか知らずか、男は徐にその手を止め、ゆったりと元の位置に戻した。
そうしてぽつりと、言葉を紡いだ。
「外が、実に良い天気でね」
誰に話しかけるでもなく、けれどエドワードだけに話しているような声音で囁かれるそれは、下手な告白よりも気恥ずかしい。
「陽の光の色が、君みたいだと思ったんだ」
「……俺?」
「そう、君。似てるだろう?まあそう思ったら、どうしても外に出たくなってね」
「探し出してくれるのは目に見えていたし、それなら一緒にどうかと思ったんだ。―――気持ち良い、だろう?」
―――どの口がそれを言うか。
本当に、心底嫌な男だと、改めてそう思う。居た堪れなさで死にそうだ。
ひゅうと息を吸った唇は、然し何も吐き出す事は出来なかった。言い返す言葉すら、思い付かなかった。それ程に、動揺していた。
「おやすみ」
そう言ったきり何も喋らない男は、本当に寝入ってしまった様だ。小さくも穏やかな寝息が聞こえてくるのを、エドワードは黙って聞いていた。いっそ張り倒してやろうかとも考えたが、生憎そんな余力も無い。唯ひたすらに、男に顔を見られなくて良かったと、そればかりを思った。
「畜生」
折角の、清々しい晴れた日だったというのに。
唸りながら、唇を噛み締めた。
「何が気持ち良いだ。アンタの所為で、ちっとも眠れねーよ」
零れた言葉はゆるりと風に溶け込んで、遠くへ運ばれ流れていく。
温かな陽だまりの中、エドワードは小さく弧を描いて微笑んだ。
end.