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僕たちが小さな頃、母はよく口癖のようにこの文章を吐いていた。文字通り、吐き捨てるように。
母はよく想像の範疇を超えるような事を口にする人だ。他にも人を驚かす発言はしていたと思う。別段記憶に留めるようなインパクトもないと思う。では何故印象強く覚えているのか?
僕は始めて聞いたとき、勿論その意味も理解出来ないまま賢明に首を縦に振った。
だけど光は首を横に振った。初めて認識した”僕らの違い”かもしれない。
「あら、光はそうは思わないの?」
母はあっけらかんとしているのでそこまで気にしていなかったかもしれないし、むしろ僕らの個々の違いが出てくるようになって微笑ましく思ったかもしれない。だが僕にとっては大問題で。母が飲むアップルティーのあまい香りが鼻をかすめる中、僕はそっと顔を横に向けた。
「ママが他の人と遊んでる時、そのパパはどうするの?寂しくない?」
「まあ」
母は驚いた様子だった。一方の僕は頭の中に疑問符ばかり。どんな表情をしていたかは覚えていない。その場に鏡があればよかったのだが、僕の鏡のような人物はそんな顔はしてはいなかったと記憶している。
その場で会話は続かなかった。確か、確か丁度時計の鐘が鳴り(習慣として母は3時に紅茶を飲んでいたので4時になったのだろう)母は仕事へ、僕たちは習い事へ、又は昼寝へと足を戻した。
たった一度の話題、何年前かも覚えていない会話。曖昧な記憶。その上ひとつ息を吐くような、どこにも不自然さを感じない言葉だったけれど何故か記憶の底にこびりついて離れない。今では意味こそ分かるが光はどうして当時の歳にして気づいたのか。一度聞いてみた事があるけれど答えは簡単、
「覚えてない」
ピシリと話を止めるかのような即答。これは裏切りじゃない、必然であって大人になる上でのさだめだ。
「そう、か」
「なんなら母さんに聞くのが一番じゃないの?」
光は危うく笑った。瞳はちっとも楽しくなさそうに。
あの時の別れ際の母と同じ表情だった。