桜色の凍み
カーテンを通して陽の光を感じる。
ようやく春めいた、ぼんやりと眠たくなるような。もう午後だった。
「どうして俺なんすか」
紫煙と共に吐き出されたのは、この天気にはまるで似合わない疑問。
―どうして、俺に抱かれたんですか。
「………」
隣で薄いブランケット一枚に護られた彼女は答えない。
あまり期待していなかったので、彼もまた、何も言わなかった。代わりに、再び紫煙をくゆらせる。
「良い天気ですね」
背後を振り仰ぐ。外からは子供のはしゃぐ声が聴こえて来て、階上からの影が窓に伸びている。
「どこか、出掛けませんか」
試しに言ってみた。
「………」
けれど、やはり反応はない。だが、彼はもう気にしないことにしたので、ベッドの下に落ちていた携帯電話を取り上げ、操作し始めた。近くに良い場所はなかっただろうか。
「桜、綺麗でしたよ。昨日、公園で見たんだけど」
そう、昨日の夕方のことだった。一人、今のように煙草を咥えつつ、咲き誇る桜をベンチに座って眺めていた時だった。
知った顔だ、どこで見たんだっけ。
思うと同時に彼女は彼の煙草を奪うと、呆けた唇に自分のそれを重ねて、
「桜なんて、咲いてたの…?」
「っ………ええ」
いつの間に起き上がったのか、美しい裸体をさらした彼女は、彼の肩に頭を乗せて呟いた。
「すげぇ、綺麗でしたよ」
鮮やかに思い出す、満開の桜と泣きそうな彼女。
煙草を唇だけで支えたまま、彼はふと、滅多にしない、いや、出来ないことをした。
「今のアンタの方が、綺麗ですけど」
「………っ、」
ああ、しまった。
カタカタと震える頭と、息遣い。
本当、何で俺なんて選んだんだ、アンタ。
「やっぱり出掛けようぜ、ちゃんと送ってやるから」
それで、俺が殴られてやるからさ。
とは言わず、彼は落ちそうな灰を抱えた煙草を、そっと指に挟んだ。
―――「名前、何だっけ」
「………」
「確か、な」
「呼ばないで」
「………?」
「呼ばないで、お願いだから」
「…じゃあ、呼ばねぇ。その代わり、俺の頼み、聴いてくれるか」
「………」
「アンタは、何も考えないこと。好きにして良いから」
「………っ、ごめ」
「それと、」
―――「ごめんなさい…っ」
約束を破った唇に、これが最後とばかりに彼は口づけた。彼女がされたこともないだろう程に、優しく。
「アイツ、本当どうしようもないっすね」
だけど、彼女が欲しいキスは、これではないから。煙草で苦いこれでは、ないから。だから、
「俺がアイツ殺さないで済むように、ちゃんと捕まえててやって下さい」
静かに笑ってやった。
『桜色の凍み』
作品名:桜色の凍み 作家名:璃琉@堕ちている途中