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吉野ステラ
吉野ステラ
novelistID. 16030
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帳の奥のその手の中に

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窓から木漏れ日がさしかかる。
目の前の男は逆光で表情がわからず、ただ机の上に置かれた白い手袋に包まれた手だけが鮮明に浮かび上がった。
手袋に描かれた練成陣に守られるように、その長い手指は隠されている。
けれど、一見軍人らしく無骨な手でも、実はすらっとした白い指と滑らかな肌が隠されていることを、エドワードは知っている。
「報告はこれですべてかね?」
耳朶を刺激する声が向けられた。どくん、と少し心臓が跳ねる。
それをごまかすように、視線をその白い手からはずした。
顔を見ようとするが、まぶしい。
「そうだよ」
そっけなく答えた。
「よろしい。行きたまえ」
書類をトントンと揃えて目の前の男はあっさりと言った。
「急いでいるのだろ?」
「?」
「ここに着くまでとてつもない勢いで走ってきていたと聞いたが」
「っ、あれは…っ」
エドワードは心の中でちっ、と舌打ちをうつ。見られていたのか。
にやりと意地の悪い笑みを浮かべているだろうその男の表情が、逆光の中でも手に取るように分かる。
全速力で走ってこの部屋の前に着いてから、必死に息を整えて入室した自分が、恥ずかしい。
「もういいんだよっ」
「ほう?」
分かっているくせに気付かないふりをするこの男が憎らしい。
急いでいたのはここに来るため。
目的地はここだったのだから。




「どうした、鋼の?久しぶりの電話だな」
「あ、大佐?明日そっちに向かうから、例の報告書持っていく」
「明日か。午後から私は不在だが、執務室の机の上に置いておいてくれ。中尉にも言っておこう」
「なんだよ、明日までって言ったのは大佐だろ。自分は留守かよ」
「急用でね。夜中に軍へ一度戻るから、ちゃんと目を通すさ」
「…わかったよ。中尉によろしく」
がちゃ、余韻なく電話をきって、その受話器を握り締めたまま、エドワードはちぇっと独りで毒づいた。
「兄さん、大佐に繋がった?」
宿の階段を下りてきたアルフォンスが、電話が切れているのを確認してエドワードに声をかける。
そんな弟にああ、とうわの空で返事をしてエドワードは思案する。
「兄さん?」
「アル。明日の汽車、朝イチの便に変更だ」
「えっどうして?明日はゆっくり寝れるってさっきまで喜んでたのに」
「ちょっとやることができたんだよ!さ、さっさと飯食いにいくぞ!」
「何怒ってるんだよ兄さん~」




昨日の電話の後、そんなやりとりがあったことなど、この男にはきっとお見通しなのだろう。
「あんたこそ、これから外出するんだろ」
「まだ時間はある。君が早く来てくれたお陰でね」
嘘だ。
(余計にあんたに手間をとらせた―)
白い手袋に包まれたその右手が、机の上に立てかけられたペンをとる。
書類の上に流れるようにサインが記された。
ロイ・マスタング―
「鋼の?」
コトン、とペンが置かれる。
何も言わず書類を凝視していたエドワードに、ロイが怪訝な視線を向けた。
「どうしたんだ。今日は静かじゃないか」
そして白い手袋が伸びてくる。
ペンをとるのと同じように、エドワードの頬に触れようとする。
違う。
エドワードはほとんど無意識に身体を反らせて、その手から逃れた。

太陽が雲に隠れ、日が陰る。逆光だったロイの顔が少しずつエドワードの目にも分かるようになる。
少し驚いたように目が開かれていた。
しまった。
「ちが、そうじゃなくて…」
拒否したいんじゃない。俺が求めているのは―
うまく言葉にできない。
「こんなとこで言うことじゃない…」
自嘲気味に呟いた。
ひさしぶりだったから。
少しでもその顔を見ようとして、朝早くに汽車に飛び乗って。
だけどロイはここで仕事をしているのだ。
忙しくしているのが手にとるようにわかる。
分かってる。分かってるのに物足りない。
こんな自分が、嫌だ。
こんなことなら、会おうとせず、素直に午後から来るんだった。
また黙りこんだエドワードに、ロイが困ったように微笑した。
ああ、そんな顔をさせたいわけじゃないのに…
「元気そうでよかった。鋼の」
ロイの優しい声音が響く。
「え?」
「顔が見れてよかったよ」
「…っ」
自分に与えられたその言葉が、胸の中で広がった。
(大佐は、大人だ)
自分の情けなさと恥ずかしさでいっぱいになって、エドワードは机の上に視線を落とす。
「ゆっくりできないのが非常に残念だ」
ロイはそう言って、自らの手を包む手袋をゆっくりと外した。
すこし節ばった長い指、大きな手がエドワードの前に露になる。
「あ…」
その指が、ゆっくりと伸びて、エドワードの頬を包みこんだ。
そのあたたかいぬくもりが伝わってくる。
今度は、避けなかった。
「たい、さ…」
そして親指が、エドワードの唇をなぞる。
エドワードの背筋にぞくっと刺激がはしった。
そのまま四指が耳元を、首筋をなぞっていく。
ドクン、と心臓が高鳴る。
雲から逃れた太陽が、また部屋を木漏れ日の中に変えていく。
空いている片手を机について身体を支え、ロイの端正な顔が机越しに近づいた。
「エドワード」
吐息のように名前が囁かれる。
その声にいざなわれて目を閉じた。


せめて今だけは仕事を置いて
その手に触れられたかったと言ったら
あんたは笑うかな。


(大佐…)


噛み付くようにその唇が エドワードを奪った。