Kinds of blue
心地よい気だるさをむさぼりながら、甲板に寝転がったサンジは片目を開けて、横に座る男を見上げた。
男は、煙草を吸っている。
肩にかけられただけのシャツの間からのぞく、鍛えあげられた筋肉をまとった逞しい胸がゆっくりと膨らみ、次の瞬間男の口から紫煙が吐き出される。
「勝手に、人の煙草吸うなよ」
サンジは、男に抗議の言葉を向けてみる。そんなサンジの言葉を無視して、柵越しに、男は目の前に広がる海を見つめている。
普段、煙草を吸わない男がこうやってサンジの煙草を吸うのは、サンジを抱いた後だけだ。
太陽が眩しかったから、セックスをした。
給油のために立ち寄った港で、他のクルーたちが町に降り、無人になった船の甲板で、真昼間からサンジは男と抱き合った。
太陽を浴びて、うだるような熱さのなかで、自分のなかに男の灼熱を感じた。向かい合う姿勢で抱き合い、必死で男の唇を貪る行為は何もかもが獣じみていたのに、胸だけが甘い痛みに疼いて仕方なかった。自分も男もこの世界も、全てが太陽に焼かれ燃え尽きてしまえばいいとさえ思った。
意識が飛ぶその瞬間に、男の肩越しに見えた海と空との境界線が、行為の後の弛緩した脳裏に焼きついてる。
再び男を見上げる。あんなに激しい行為の後で、あんなにサンジの体を散々に扱った後で、まるで軽いトレーニングを終えた後のようなすっきりとした顔をしている男に無償に腹が立った。
サンジは怒りをこめて、足を伸ばして男の腰のあたりを軽く蹴った。
「・・・んだよ」
男は煙草を銜えたまま、サンジを見る。
「煙草・・・俺にも」
「・・・ああ」
男は億劫そうにそう答えて、ケースから新しい煙草を出そうとする。
「・・・それをくれよ」
「あ?」
「今、お前が吸ってるのをくれ」
サンジは擦れた声で、男が吸っている煙草を求めた。サンジの要求にけげんそうにその形のよい眉をしかめた男は、しかし仕方ないというように自分の口にあった煙草をサンジに銜えさせた。男の指先がサンジの唇に軽く触れる。サンジは深く息を吸い、肺の奥まで煙を吸い込んだ。
再び訪れる沈黙。
蒸した太陽が容赦なく甲板に照り付けている。じりじりと肌が焼けていくのがわかる。
休日の昼下がり、船着場に人気はなく、向かいの桟橋に停泊した船のなかから流れるラジオの音だけが、静かな甲板にとぎれとぎれに響いている。どこかで聞いたような懐かしい音楽が聞こえる。
「あ、この歌」
ふいに流れ出した曲に、サンジが反応した。
ギターとハスキーな女の声から成るシンプルなメロディが、響く。底にたまったぬるい空気をかきわけるような、少し切ない旋律に男も耳を傾ける。
いつしか、ラジオの声にあわせて、サンジが小さな声で歌っていた。
眠りたくもないし
死にたくもない
ただ旅していきたいだけ
大空の牧場通って
掠れた声でメロディをたどりながら、サンジはゆっくりと目を閉じた。
「何の歌だ?」
そんなサンジを珍しいものを見るように見つめながら、男は言った。
「・・・俺の母親がよく歌ってた歌だよ」
「へぇ・・・今どこにいる?お前の母親は」
「海の底。いや、空の上ってゆうのか、この場合は。俺が小さいときに死んじまったよ」
そう静かに告げるサンジをやはり男はじっと見つめている。床に広がった金色の髪が太陽に透けて輝いている。
「・・・母親は、海辺のレストランで働いてた。幸の薄い女でさ、悪い男にだまされてばかりいたな。でも、誰よりも美しくて、いつも優しかった。俺をひざの上に抱いて、綺麗な声で歌を歌ってくれたんだ。」
目を閉じたままうっとりとした声音で、まるで恋人のことを語るようにサンジは言う。
全ての女に向けられた彼の憧憬は、彼の母親の面影から来るのだと知る。普段なら興味のない他人の思い出話も、めったに語らないサンジの口から漏れると、かすかな感慨を呼ぶ。
甲板に体を横たえているサンジは、まるで一匹の獣のようだ。そのむき出しの首筋や二の腕に、行為の跡が赤く散っている。皮膚の薄い肌を噛んで、自分の証を残すことに男はいつも執着する。酷い抱き方をして、止めてくれと懇願されてもそれを止めない。突き上げて揺さぶって、散々に乱れる獣を手に入れる錯覚に陥る。
獣は目を閉じたまま、物思いに耽っている。その薄いまぶたに隠された瞳の色が、少し暗い青であることを男は知っている。その瞳にうつる自分の姿が見たくて、彼が瞼を開けてくれたらいいと思う。
いつしか、ラジオは天気予報に切り替わっていた。
サンジの頭に今よぎるものは何なのだろう。遠い故郷や自分を抱いてくれた母の面影か、命を救ってくれたという老人のことか。いずれにせよ、男には知ることができない。それが悔しくて、どうにかして瞳を開けさせたくて、男はサンジの顔の横に右手をついて、彼の顔を覗き込む。
「雨が降るな」
天気予報が告げた雨の予告を聞き、サンジが目を開けて言った。
「ああ」
その瞬間に彼の目にうつった自分を確かめ、男は掠れた声で答える。
サンジの瞳が少し潤んで見える。
自分は彼に何かを与えることができないばかりか、何かを奪うことさえできない。
抱き合うたびにそう思い知らされて、欲望だけが獰猛に男のなかで育ってゆく。しかしなぜこの美しい獣は、無防備に潤んだ瞳で男を見上げるのか。
いっそ嵐になればいい。
サンジの唇に自分の熱を移すために屈みこみながら、男はそう思った。
作品名:Kinds of blue 作家名:nanako