髪結い
フッチが入浴を終えて自室へ戻ると、ベッドの上でシャロンが寛いでいた。ゴロゴロと日向で喉を鳴らす猫のように、ころりと寝転がったまま「おかえり」とだけ口にする。小言はやはりいつもどおり聞き入れられなかった。
ため息を一つ、奥の椅子へ腰掛ける。汚れと疲れを落としてきたばかりだというのに──既に精神が疲労していた。首に掛けたままのタオルで、濡れた髪を荒く拭う。
頬杖をついたままシャロンはそれを横目で見やっていたが、思い出したように立ち上がり、フッチの後ろ髪をくいと引いて問うた。
「フッチっていつから髪伸ばしてたっけ? だいぶ長くなったよね」
髪に絡む指にくすぐったさを感じ、フッチは肩をすくめて笑む。
「二十歳を過ぎた頃からだったかな、短いと若く見られがちでね」
「うわ、フッチってばそんな若いうちからオッサンに見られたいとか……マゾ?」
「いやいやいや」
何かとてつもない誤解がある気がする、とフッチは振り返り弁明しようとするが、髪を強く引かれることで遮られた。
「まァでも、フッチって童顔だしね。それに、フッチがココに居ない間に入ったヒトたちには、けっこーナメられてたカンジ。──フッチはともかく、ブライトのことまで悪く言うヤツらなんか許せないよ!」
フッチの髪を戯れに三つ編みに結いながら、シャロンは当時を思い出したのか不快気に眉を歪ませた。
解放戦争の折、騎竜を喪ったフッチは掟に従い砦を追放された。数年後のデュナン統一戦争を経て新たな竜を得た彼は、そうしてようやく竜洞騎士団へと復帰を果たしたのだった。
自らの過失により騎竜を亡くしたフッチにも、また前例のない白き竜であるブライトに対しても騎士団内部の──特に若い騎士たちの──風当たりは強く、当初は謂れのない悪意を向けられることが多かった。
それも今は昔。
「今は皆、良き友人だよ。僕たちには必要なことだったんだ、きっとね」
ありがとう、とやさしい声音で小さく呟かれたフッチの礼に、シャロンは頬を染めた。照れ隠しに荒い手つきで髪結いを終える。次は二つ結びにしてリボンを付けてやる、などと企みながら。
「シャロンは髪、伸ばさないのかい?」
手持ち無沙汰にフッチはそう口にした。
「なになに? フッチは長い髪のオンナノコが好みなんだ〜?」
シャロンは三つ編みを解き再度結い直しながら、ニシシと悪い笑みを浮かべる。「どうしてもって言うんなら、伸ばしてあげてもイイけど?」と加えて。
「いや? 好きなひとなら何でも構わないけれど」
「うわ、クッサ」
蔑むように鋭く言い切られ、フッチは力なく沈黙した。
「……シャロンはめんどくさがり屋だしね。今の短い髪が一番良いと思うよ」
「ム。いやぁ、わっかんないかな〜? これは団長であるお母さんへのケイイってゆーか」
「はいはい」
「ムム! ロングヘアでモッテモテのボクを見て後悔しても遅いんだからね!!」
シャロンは気分を害したのか、フッチの髪を乱暴に解く。そのまま荒い足取りでベッドへ飛び込み、壁を向いてしまった。フッチは困ったようにしばらくその背中を見つめていたが、くすと苦く笑うと立ち上がり、ベッドの端へと腰を下ろした。
「それは困るな」
サラと金の髪を梳く。
「君がそうおいそれと浚われるようなことがあっては、兄としても教育係としてもいただけない」
『兄』という言葉に眉を寄せ、ますますくちびるを尖らせるシャロンの髪をやさしく撫でながら、フッチは続ける。
「だから、『どうしても』僕のためにショートヘアでいてくれないかい」
そうして手に取った一房の髪へとくちづけた。
そこでようやく身体ごと振り向いたシャロンは、ズルいと抗議するようにフッチを見たあと、その髪を引き希う。
「……フッチがボクのために髪を伸ばしてくれるなら」
フッチは瞬きを一つ二つ。
「そうだね。君の分を僕が伸ばすとしようか」
そう言って、二人は視線を絡め、噴き出すように笑った。