勘違い
私、ロイ・マスタングが准将となり、エドワードを片腕として傍らに置くようになって1年。
イシュバール政策は画期的な進展を遂げている。
マイルズやスカーの協力も大きいが、なんといってもエドワードの働きが群を抜いている。
軍属でもなく錬金術師でもなくなっているが、培ってきた経験が年齢不相応なだけに、一般人からの苦情や意見を聞き取り、その解決策を導き出すのが早いのだ。
「ますます手放せない…な」
私は執務机から、同じ部屋にいるエドワードを見詰めつつ、ぽつりと呟いた。
「何?」
聞こえるはずはない…と言うより、集中している時の彼の耳には雑音は入る余地が無いのだが、その時の彼は少し気が散っていたのだろう。珍しく私の独り言に返事を返してきた。
「いや…。大した事ではないのだが……。政策に落ち着きが出てきたなぁと…そう思ってね」
「ああ、そうだな。テロもすっかりなりを潜めたからな。昔はそれこそ、ウドと筍?…だったっけ?それ位に頻発していたもんな」
「……………」
「…………」
「…………」
「なんだよ。なんかコメント返せよな〜」
「きみ、…今、なんと?」
「へ?テロが」
「いや、その後だ」
「ウドと筍みたい? アルの奴がシンでの諺とか言って教えてくれた…と記憶してんだけど…。あっちこっちにズコズコ出てくる様子を表現してるって」
「ああ。意味合い的には合っているのだがね。言葉が違うのだよ」
「違う?」
「そう。正しくは雨後の筍、だ」
「ウゴ?どんな字を充ててんだよ」
「雨の後と書く。雨が降った後に筍と言うのは急速に成長し、また、地面から頭を出すからそう言う喩に使われているのだよ。因みに、君の言ったウドとはうこぎ科の多年草で、食用に用いられる事もあるそうだし、ウドの大木とはでかいばかりで役に立たない人物を、指…す」
「……それは、俺に対するいやみか?ええ?!准将さ・ん・よ!!」
説明の途中から漂い出した不穏な空気に、私は途中で言葉を閊えさせた。
「どっ、どうして君への嫌味に?どこら辺が?!」
「急速に成長する竹の子って、なかなか身長が伸びなかった俺へのあてつけにしか聞こえねえ」
「それは仕方ないだろう?扉の前にいたアルへ魂を経由して与えていたのだから」
「役に立たない人物だと」
「君のどこが役立たずだと?誰がそんな事を言った?!言った奴は跡形もなく燃やしてやる!!」
「あんただよ!今!!あんたがそう言った!!」
「言ってない!!天地神明に誓って、そんな事は言ってない!!」
「祈る神様もいない奴が誓うな−!!」
ズガンッ!
拳銃の発砲音と共に執務室の壁の一部に穴が開いた。
「はい。お二人ともそこまでにして頂きます。執務がすっかり滞っています。正しい言語については日を改めて議論なさって下さい」
執務室の入り口に立つ副官の愛銃から硝煙が立ち昇っていた。
「エドワード君? 無能な上司の口車に乗せられてしまってはダメよ? ちょっと目を離すと、すぐにサボりたがるんですからね? あなたが相手なら、一晩中でも話続けること請け合いなんだから」
にっこりと笑いながらもその眼は笑っていない有能な副官に、かつての豆台風もコクコクと頷きをかえして、書類の処理に戻ってしまう。
「大尉。私はサボっていたわけでは…」
エドワードに腹を立てられたまま引かれてしまっては、私の立場が無いとばかりに弁明しかかったが、振り返った副官の表情に、続く言葉がのどの奥で詰まった。
「いくらエドワード君が珍しく記憶間違いをしていたからといって、余計な説明を加える必要な無いと思われます」
「余計な説明ではない。正しい理解をしてもらおうと・・・」
「それで彼を怒らせてしまっては、本末転倒なのでは?准将といたしましては」
「うっ・・・・・・・、そ、それは・・・そう・・・・・・っ!なっ? なにっ?!」
思わず返事を返してから、彼女の弁に心の中を見透かされた様に感じて言葉を無くした。そして愕然として副官の顔を仰ぎみる。そこには、全てを知っていますよと書かれているようだ。
私は溜息を返すしかなかった。
「鷹の目の慧眼には恐れ入る」
「お褒めの言葉と受け止めておきます。それよりも、サクサクと仕事を片付けて、本命を夕食に誘う機会を作り出すのが有益かと」
有能な副官は小声で作戦をほのめかすと、失礼致しますと退出して行った。
私は暫くの間、ひたすらに書類の整理に没頭した。副官の言う通りに彼を夕食に誘い、少しでも距離を縮める機会を捻出する為に・・・。そして、我を忘れて片付けているうちに、午後のお茶の時間が過ぎていたようだった。
目の前に差し出されたカップから芳醇な紅茶の香りがして、初めて私は書類の世界から戻ったのだった。
「ほらよ。午後の休憩だ。アルから貰ったシンのお茶だ。結構美味いぜ」
ぞんざいな言葉ながら、彼の淹れるお茶はとても美味しい。私は強張った肩を解しながらお礼を口にした。すると彼の頬が幾分か赤らんだ。
“可愛いな。何時ぞやに貰った桜桃の様だ”
私は嬉しくなり、彼の右手を左手で握り締めた。
「ちょっ!何すんだよ」
「お茶を飲む間くらい傍に居て欲しくてね。君は直ぐに自分の席に戻ってしまうから・・・。ああ、本当に美味しいな」
右手でカップを傾けて紅茶を口にする。そうすると、喉が乾いていたのだと自覚した。
“仕事で乾くだけじゃない。彼に飢えて、乾いているんだ”
私は少しでも彼との時間を持ちたいと、夕食を共にしてくれるように話しかけた。
「何で准将と夕食を一緒にすんだよ。堅苦しいのは嫌いなんだけど」
「大丈夫。気楽な食堂で、君の好きなだけ食べても構わない。それより、君にしては珍しく記憶間違いをしていたようだから、食べながらアルから聞いたというシンの話を聞かせてくれないか?新しい知識が得られるかもしれないし、間違って覚えていたら訂正が出来る。先程のような恥はかきたくないだろう?」
そう告げると、彼の頬が先程と違った意味で紅くなった。
そして、暫しの逡巡の後に、おうっ!と小さく返事が返された。
彼の勘違いを利用して、今夜は少しだけ距離を縮めよう。
上司と部下。元後見人と非後見人の間柄以外の関係を築く為に
2011/04/30