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providence lost

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びゅう、という突風ではないが、だからといってふわり、という様な微風でもない。
 そんな中途半端な生温い風が、ゆらり、ゆらりと吹いていた。
 そしてそれに合わせるかの様に、手にすっぽりと収まっている杯の中の液体も、細波の如く揺らいでいる。
 辺りは薄紅一色に染まっており、一時の平穏と喧騒を齎す。
 舞い踊る淡雪の如し花の一片を、何と例えようか。
 歪んだ水面にはらり、淡い緋色の花弁が落ちるのを見て、沖田はほうと感嘆の息を漏らした。




「随分と賑わってんな」

 のそりと現れた銀髪の男に、沖田はさして驚きもせず微かに笑った。

「今が時期ですからねェ。来週末は天気崩れるって言ってやしたし」

 隣に座る様促せば、男は従順にそれに従い、どかりと沖田の横に腰を下ろす。
 それを視界の隅に収めながら、沖田はもう一つ、空のまま使用されていなかった杯を男――銀時に手渡した。
 並々と注がれた透明な液体を幾度か飲み干し、そうして二人は漸く周りの景色へと目を向けた。

「こんだけ幻想的だと、神隠しだとか言われても納得出来らァな」

 ふいに紡がれた言葉に、沖田はおや、と片眉を上げた。
 確かに桜の吹雪くこの季節、そんな話――大抵は眉唾かオカルト、若しくは教訓めいた言い聞かせの様なものだが――が絶えないのは知っている。
 が、それをこの男が拾うとは思わなかったのだ。

「いつになく感傷的ですねィ。何かありやした?」

 からかう様に言えば、すかさず笑みが返ってくる。
 上げられた杯に無言で酒を注いだ。

「そういうオメェは、これ見て何とも感じたりしねーの?」
「…そうですねィ。唯、綺麗だとは思いますけど。俺ァ学が無ェんで、あんまり大した事は言えやせんけど」

 くつくつと喉を鳴らし口角を上げれば、違いないと隣に座る銀髪の男も笑い出す。

「どっかの詩人みてぇな表現なんか出来ゃしやせんが、でも、あれは好きでさァ」

 その言葉に興味を持ったらしい銀時が、ちらりと続きを促す様に沖田を横目で盗み見る。
 沖田は一拍の間を置いてから、ゆっくりと話し出した。

「桜の花弁って、見様に依っては白く見えやせんか?ほら、上手い具合に陽光が当たった瞬間とか特に」

 ゆるりと口元だけに笑みを浮かべて、沖田はぐい、と杯を仰ぐ。
 空になった杯にすかさず酒を注ぎながら、銀時はああ、と応えを返した。

「確かに。ありゃー綺麗だよなァ。俺もイイと思うぜ」

 珍しく笑みを浮かべた男に僅かに瞠目し、沖田はそろりと銀時へ向けて手を伸ばす。
 ―――触れた髪は、予想外に柔らかかった。
 それに驚きつつも、けれど表情に表す様な愚行はせず、沖田はそのままそっとそれを摘む。
 沖田の突然の行動に怪訝な顔をした銀時は、然しその手にあるものを見て、得心がいった。

「悪ぃな」
「いえ」

 沖田の手のひらには、小さな薄紅の花びらが乗っていた。
 それを沖田はふうと息を吹き掛け飛ばすと、何事も無かったかの様に、杯に手を伸ばす。
 依然として風は止む事無く緩く、強く、絶妙な力加減で辺りを駆け巡っている。
 走る風に逆らう事無く髪が揺れて、頬を掠めくすぐる様に踊る。
 ふわりと舞った己の髪の隙間から、くるりくるりと回る紅が見えた。
 そうしてゆらりと泳いだ水面にひらりと落ちるひとひらを、ぼうと眺めて追い掛けた。

「酒に桜たァ、中々風流なこって」

 その一連の流れを見ていたのだろう。男の言葉に苦笑を一つ返して、そうしてじぃ、と己の酒杯を見詰めた。
 透明の液体に薄い淡紅がゆらゆらと漂っている。
 その度起こる小さな波紋の様な波に、合わせ鏡のように映っていた景色が歪に歪んで、思わず眉を顰めた。

「白に白。銀に薄紅たァ、随分じゃねーか」

 小さな小さな呟きは、喧騒に呑まれて男には聞こえてはいなかった様だ。
 仮令聞こえたとしても、それに対して突っ込まれでもしようものなら、生憎自分は答えはおろか、その術すら持ち合わせていない。
 これ幸いと、沖田はぐい、と杯を呷る。
 熱が喉を通過して、常ならばそれを心地良いと思うのに、今この時ばかりはそうはいかなかった。
 ジリジリと灼ける様な温度が器官を通っていつまでも絡み付き、じわりと厭な熱さだけを残していく。
 燻った熱を持て余しながら、沖田は酒精を帯びた杯をカラリと転がした。
 風は緩やかに穏やかに世界を揺らす。
 目の前には、鮮やかな白が舞っていた。


end.
作品名:providence lost 作家名:真赭