好奇心、猫をも殺す
そう尋ねたのに他意は無い。唯単純に、それを舌舐めずりしながら目を細め、まるでこの世にたった一つの宝物を扱うかの如きその手の動きに、好奇心が刺激された、だけだった。
筈、だったのだ。
「俺が甘いモン好きなのは知ってンだろ?じゃあこれも、言わずもがな、ってやつだろ」
「あー…すいやせん。そうでしたね。俺とした事が愚問だったようで」
「良いって事よ」
そう言ってまたスプーンに琥珀色の液体を注ぐ作業に没頭する男を視界の隅に留めて、沖田は首を正面に向け直す。
興味が失せたのだ。
目線を少々下に下げて、唯一男の家にあるであろう雑誌を勝手に読み始めた。
パラリと紙を捲る音が静かな室内に微かに響き、鼓膜を小さく震わせる。息遣いさえも聞こえてきそうな静寂の中、それでも居心地が悪いとは思わない。耳を澄ませば緩やかに届く自分のものでは無い呼吸音に、沖田は酷く安堵した。
ほう、と小さく、静かに深い息を吐いて、そうしてまたパラリとページを捲る。途端匂いたつ紙の匂い、と、風に流れて僅かに香る甘い匂い。
それが蜂蜜だと気付くのに時間は掛からなかった。
―――こんなところまでアンタの匂いがする。
瞬時に弾き出された無意識の答えに、少なからず動揺するのも無理はない。腹癒せも兼ねて苦々しく口を歪めて、沖田は男が居るであろう台所へと向かった。
「好い加減その辺で止めた方が良いんでねーですかこの糖尿」
行き成り来てその言い草はあんまりだ、と男の眼は一瞬ではあるがそう言い掛けて、然し彼は柔らかに苦笑するだけに留めた。
男が極稀に見せる所謂大人の対応というものに、少なからず苛立ちが増す。戦いの場ならいざ知らず、こういった時まで経験の差を見せつけられては、本当に手も足も出ない。
沖田は彼のそういう所が大嫌いだった。
それが八つ当たりから成るものだと解っていた上で、だ。
けれども普段のらりくらりと躱しては本意を見せない男が、ふとした拍子に見せる素顔がなければ、こうも興味を示す事は先ず無かっただろう。それがあったからこそ沖田は彼に興味を持ち、そして好意を抱いた。
そう思うと何とも遣り切れない気持ちで一杯になってしまうのだが、敢えて見ぬ振りをして、そうっと静かにそれに沖田は蓋をした。
こういう所が彼と自分との違いなのだと、解っていながらも。
「良い事を教えてやろう、沖田君。俺は実は、蜂蜜はあんまり好きじゃあ無かったんだわ」
急に良い悪戯を思い付いた子供の様な顔で、男はいきなり勝手に話し出した。
―――こういう顔をする男には近付かない方が良い。
過去の経験からそう学んでいる沖田は形の良い眉を歪めて警戒を露わにする。が、矢張り此処でも好奇心が勝った。甘味は彼の専売特許とも云うべきものではないか。それを好きでは無いとはどういう意味か。
巧く立ち回る自信が無いのならばここで一旦引くべきだ。それは嫌という程経験し、学習もした。冷静な部分がそう囁くのに、それらを遥かに上回る、知りたい、という気持ちにはどうしても打ち勝つ事が出来なかった。
そうして沖田は膝をつく。
男の掌に転がされる事を知りながら、それでもその答えを聞く為に。僅かな期待を秘めながら。
「甘いもんは好きだけどな。ランキングを付けるとしたら、蜂蜜は下なんだよ。別に何処が嫌、って訳じゃあねーんだけど、でもだからといって取り立てて好き、って訳でもねえ」
光を受けて不思議な色を帯びた蜜を、惜しげも無く掬いながら、男は続ける。
「でも最近はちぃーっと味覚が変わったみてーでよ。パフェが一番なのは変わんねー、てかこれは不動な。でもそのどうでもいい、と思ってた蜂蜜君が急上昇でよ。これには流石の銀さんも参ったね」
何が参って何処が参ってるんだ、という無言の訴えを乗せた眼差しを、男は我が意を得たりとばかりににやん、と受け取った。
益々嫌な予感が増して、今更ながら沖田は後悔し始めた。もう遅い、と、全てを諦め投げ出せたらどんなに良かっただろうか。そうするには沖田は少し、若過ぎた。ぐらつく脳を叱咤して、半ば自棄になりつつ沖田は男の続きを待った。
「蜂蜜の何処が良いかっていうと、先ずは色だな。こう、光の具合に依って全然違って見えるだろ?それに馥郁とした香りも誉め讃えたい。ちゃんと匂うのに、自己主張し過ぎない感じとか特にな」
「…はあ、」
「そして一番大事なのは甘さ、だ。甘味であるからにはな。知ってるか?蜂蜜ってのは少し舐める分には仄かに甘さが広がるだけなんだよ。舌触りも良いし、後味もそんな残んねぇ」
「甘いもんは少なかろうが多かろうが、甘いと思うんスけどねェ…」
うんざりといった体を隠さずにそう告げると、男はまあ聞けよ、と片手を挙げて沖田の次の言葉を制した。
彼の顔は何時になく生き生きと輝いている。常ならばマジマジと見入るその姿も、現状を考えれば直ぐにでも逃げ出したい衝動に駆られてしまう。
沖田は必死の思いでそれを掻き消し、足を踏ん張って続きを聞く覚悟を決めた。男はそれを知ってか知らずか、一つ頷くと流暢に言の葉を紡ぎ出す。
「で、だ。お前が言った通り、少し多目に舐めるとさ、やっぱ甘ェんだよ。絡み付くってーの?更にもっと舐めると、甘みが増す。良い感じに甘くなる」
「それはアンタだけですぜィ、旦那。自分の舌狂いを自覚してねぇんですかい」
「何言ってんだ一般論だよ、一般論。兎も角甘いんだよ。でもな、知ってっか?」
「……何を」
「蜂蜜ってな、摂取し過ぎると、苦いんだよ」
「逆に、苦くなんの」
「すげぇギャップだと思わねぇ?」
堪らない、といった風に男は笑う。けれどもそれに返す応えなど無い。
それさえも見透かしたかの様にニヤけながらペロリと蜜色の液体を舐める男を目の前にして、居た堪れなさが募る。
彼の真意を正確に理解し閉口した沖田に、銀時は唯満足げに微笑うだけだった。
end.