密やかなる戦略
「やっほー、沖田君」
―――それは突然、やって来た。
市中見回りの時間です、とわざわざ告げに来た地味な密偵を、感情に逆らわず寧ろ素直に従って腹癒せに蹴落とした後、渋々、けれどもサボる気満々で沖田は屯所を出た。
さて何処で昼寝をしようかと思案しながら歩く道中、屯所から然程離れてもいない場所で、それは行き成り姿を現したのだ。
「偶然だね、沖田君」
ひょこりと暗い影から顔を出したのは、銀糸の髪を持つ、良くも悪くも見慣れた男だった。
「……そんな路地裏からひょっこり現れてといて、偶然も何もあったモンじゃねぇと思いやすけどねィ。何やってんですかィ?」
「んー、待ち伏せ?つか、近道しようとしたら道に迷って此処に出たっていうか…」
「要するに迷子ってヤツですかィ」
「いやいやいや、迷子違うから!この年で迷子とか有り得ないから!銀さん一寸探検してただけだから!」
「…さっき道に迷ったって言ってやせんでした?」
「気のせいだよ、沖田君」
不毛な会話を繰り広げながら、何の不自然さも感じさせず、男は肩を並べて歩き出す。
―――何とも不思議な人間だと、つくづく沖田はそう思う。
彼はこうして急に現れては、けれども流れる様な所作で懐に入ってくる。瞳孔が開きっ放しな己の上司は兎も角として、それでいて不快感はおろか警戒心も相手に抱かせないのは、正に賞賛に値するべきものだろう。
思わずじいと見詰めると、それに気付いた男が若干身を屈めて、子供が内緒話をする様に、密やかな睦言を囁く様に、
「沖田君、今、暇?」
こっそりと呟いた。
近距離で合わさった視線は、柔らかくも、強い。ゆるりと、されど何処か悪戯めいた笑みに魅入ってしまい、不覚にも、返答が遅れた。
「沖田君?」
吐息すらも忘れて唯突っ立ったままの自分を不思議に思い問われた声音は、けれども確信犯の響きを孕んでいた。
悔しさと反発心がむくむくと膨れ上がり、そこで漸く、沖田ははっと我に返った。
反抗意識が湧き上がるのをそのままに、渇いた唇を一舐めして、暇じゃあありやせん、と一言手短に応えを返す。
けれども男にとってそれは予想の範囲内、若しくは余興にすら過ぎない様で、にやん、と笑うと徐に手を差し出した。
「嘘。暇でしょ?サボって昼寝する時間があったら、それを銀さんに頂戴よ」
――――握られた手は、熱かった。
沖田はこの時ほど、目の前の銀髪の男を殴りたいと思った事は無い。
今日が天気の頗る良い日で良かったと、心の底からそう思った。らしくもなくこの顔が熱いのも、きっとこれで誤魔化せる。男もきっと、見逃してくれるに違いない。
他人の懐に滑り込むように入れるのは、男が相手以上にその内が広いからかもしれない。
包まれた掌、引っ張られる様に連れ立って歩きながら、沖田はそうぼんやりと思った。
***
「で、結局甘味ですか団子屋ですか捻りもクソもねーなオイ」
「あれ、何でノンブレス?何かキャラ違わない?あれ、何かとっても不評?」
じろりと銀髪の男を一睨みして、それからどさりと沖田は長椅子に腰を下ろした。
何のかんの云いつつも素直に隣に座る少年に、男――銀時は、ひっそりと笑みを刷く。
「これでも一応、配慮してのコトなんだけどね」
「え?何か言いやしたか?旦那」
思わず漏れ出た本音に、けれど良く聞き取れなかったのだろう、問い返す子供に何でもないと曖昧な返事を返し、何か言いたげな少年を阻む様にお茶と団子がタイミング良く運ばれて来た事に、銀時は密かにほっと安堵した。
「ああパフェが食べたいなあ」
誰に放たれるでもなくぽつりと零れた言の葉は、風に乗って緩やかに流れた。
***
「それじゃあ、旦那。今日は団子、有難う御座いやした」
「偶にはね。良いって事よ」
一頻り会話を楽しみふと気付いた時には、既に時間は夕刻を過ぎてしまっていた。
流石に戻らないとやばいと言い出した沖田に、銀時は何も言わずさっさと勘定を済ませて、店を出る様促した。
それを見て、珍しい事もあるものだと沖田は首を傾げていぶかしんだ。大抵の場合、己が支払うのが常なのだ。
そもそも久し振りに会うというのに、パフェだケーキだと騒がないのも引っ掛かる。
その手の類のものは他の甘味と比べて多少割高だ。年中金欠の男は、だからこういう時こそ、ここぞとばかりに自分に集るというのに、今日に限って一言もそれを聞いていない。
よく考えてみれば、腑に落ちないのは最初の出会いからだ。何故この男は、路地裏なんかに居たのだろうか。
其処まで思考を巡らせて、矢張り沖田は、男に手を引かれた時同様に今が夕暮れ時で良かったと、そう思う羽目になってしまった。
「…旦那」
「ん?何?」
「何で今日、路地裏なんかに居たんですかィ?」
流石に目線を合わせられなくて、少し俯き加減でそう問うと、頭上から小さく掠れた、笑いの吐息が聞こえた。
「それに関しては、ちゃんと理由を言った筈だけど?」
――あくまでもはぐらかす気か。
そう思って、けれどもそれは違うとすぐさま否定する。
この男は、ちゃんと言っていたではないか。『待ち伏せしていた』のだと。自分自身、そんな偶然があってたまるかとぼやいたではないか。
「本当に、癪に障るお人でさァ」
悔し紛れに呟いた言葉は、矢張り笑って躱された。
「序でにもう一つ、良いですかィ?」
「どうぞ?」
くつくつと笑う策士な男を、今度は半ば睨め付ける様に視線を投げれば、訪れるのは完全なる敗北。してやられた、と唇を噛むも、既に遅い。
「何で、団子なんですかィ?」
微かに震えた声に、今度は本気で自分自身を殴りたくなった。
眼前の男は夕陽に照らされてきらきらと輝く銀髪をくしゃりと掻き揚げて、やんわりと微笑んだ。
「だって沖田君、あんまり甘いの得意じゃないでしょ。だからこれ位なら大丈夫かなと思って」
「捻くれ者」
「お互い様でしょ」
それじゃあね、と去って行く後姿を見送って、それが見えなくなるのを待たずして沖田も帰路に着くべく踵を返した。
「あ、そうだ」
ふと、さも今思い出したと言わんばかりの男の声に、思わず立ち止まる。ゆっくりと振り返ると、男は背を向けたまま立ち止まっていた。
「お返し、ちゃんとしたからな。もう請求すんなよ」
片手を上げて再び歩き出した男を見て、沖田は今が夕暮れ時で良かったと、もう何度目にかなる想いを、矢張り再び実感する羽目になってしまった。
end.
*心は少年(寧ろガキ大将)な彼は、素直にお返しを渡せません。でもきっと沖田もそうなので、バレンタインも素直に貰えなかったと思われます。どっちもどっち(笑)