十七歳、大いに怒る
○基本的人権
人が生まれながらに持つ、人間が人間らしく、個性を発揮して生きて行く為に何人にも決して侵されてはならない権利。日本国では、憲法第十一条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」、並びに第十三条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」に代表されるように、日本国憲法の三大原則の一つに掲げられている。
○
倫理は、難しいが色々面白いとは思う。ただ色々言葉が難しいし、一言で終わんねぇからややこしくて、全体としてはよく分からない。でも時々一部分がすとんと頭に入るんだ、だから、そういう時は面白いと思う。
あれだ、無神論とか有神論とかは面白かったな。結局どんなに主張しようが、根本は変わらないんだっていうやつ。
無神論者は、存在しない神を信仰している奴らを批判すっけど、無神論者は「神はいない」という思想を信仰してんだから、やっていることは有神論者と結局変わらないんだってよ。何か其れ聞いた時は、はぁー、って感心したな。
どっちにしろ同じならよ、神様っていた方がいい気がすんだ、俺は。しかも、いろんな神様? そう、八百万の神様つーのか? よく分かんねーけど、そういう方が色々御利益がありそうだし、面白いと思うんだ。
○
そんなことを云いながら、静雄は僕のノートを写している。
静雄はよく、授業中にぼんやりしている、寝ている時もあるけど、大抵は窓の外を眺めているのだ。小学校の時からそうだった。週に数回、大抵は放課後の教室で、静雄は僕のノートを写す。
随分前に一度だけ、静雄に訊いたことがある。
一体何をしているのか訊いてみれば、空を眺めているのだと云っていた。そして、色々考えているのだとも。
――如何して、自分はこんな身体なのか。
――如何して、人間はたくさんいるのに自分じゃなければいけなかったのか。
其の時、こんなことも云っていた、「神様は不公平で意地悪だ」と。
其れなのに、如何せなら神様はいた方が面白い、だなんて……。静雄は変な処、御人好しだなと思う。
とにかくまぁ、そんなようであるから、気が付くと何時の間にか授業が終わってしまうことが多くて、まともにノートがとれないとかで、僕は其れを助けているのだ。今日の倫理の授業は、基本的人権の思想の話だった。
絶対主義下の王権神授説の話から始まり、英国の大憲章や独逸のルターの宗教改革、清教徒革命に触れて、ロック、モンテスキュー、ルソーへと、人権思想の発達をなぞる授業。まぁ、倫理自体そんなに愉快爽快な内容ではないし、近現代世界史ほど戦争的な意味で賑やかでもないから、授業は眠いよね。今日は考え事をしていたんじゃなくて、純粋に、静雄は眠くなって寝てしまったらしい、僕だってうとうとしていた。
「……化け物、か」
不意に静雄が呟くのが聞こえて、僕は「ん?」と云って静雄を見た。
静雄は小さく首を横に振りながら、「いや、人間は良かったなって……」とむにゃむにゃと濁すように云い、其れから慌てたように、「此の辺テストに出っかな?」と云う。
僕はよくわけが分からない儘、「如何だろうね、神のみぞ知る」と答えたら、静雄は、ははっと笑った。
少しして、静雄が手洗いに行くと云って席を立ったので、僕は「いってらっしゃい」と云って送り出す。其れから暫くした頃、遠くから、どごんっと鈍い音がした。何かがぶつかる音。
「何か、あったかな?」
嫌な予感がして、僕は廊下に出て耳を澄ませたが、放課後の校舎は妙に静かで、遠くで運動部の掛け声や、吹奏楽部の楽器の音が聞こえるだけで、僕らのいる階には生徒はいないようであるし、静雄の怒声も誰かの悲鳴も聞こえない。
気にはなったけれど、僕は大丈夫だろうと踏んで、席へ戻る。
写し終わるのに、あとどれ位かかるだろうかと、静雄のノートを覗き込んで、愕然。僕は如何して気が付いてあげられなかっただろうかと思い、同時に、如何して気が付いてしまったのだろうかとも思った、腹の底がぐらぐらする。
君はどんな気持ちで、此の部分をノートに認(したた)めたんだい?
どんな気持ちで拳を痛め付けたんだい?
静雄の呟きとあの鈍い音の意味を知り、僕は彼をそうせしめたであろう「何か」を、そして、其の「何か」が然らしめた結果出来あがってしまった彼という存在に好奇心を抱いている僕自身を、大変腹立たしく思った。
……人間が人間らしく、
(2011/02/20)