背のぬくもり
太陽が空から姿を消し、月に場所を明け渡すまでの時間が、少しずつ伸びていく時期になった。
太陽は交代前に盛大に、と言わんばかりに空を赤く染め、自分たちが歩く地面にまでその色は移っている。
隣を歩く子どもと自分の影がその地面へと伸び、子どもは指を差して「お兄ちゃんだけじゃなくて、僕の影も背が高いね」と少し前に笑った。
それから続く話し声とそれに混ざり合う笑い声が心地よく、自然とこちらにも笑みが浮かんだが、少しずつ、子どもの言葉の間に沈黙が降りてくる。
それと同時にくんと幾度か手を強く引かれて、これは、と確信に至った。
「蘇芳くん、眠いんじゃないかい?」
途端、勢いよく顔を上げた子どもの眉間にぎゅううと力がこもる。慌てて手を伸ばして、苦笑しながら眉間に寄ってしまった皺を撫でた。
「今日は少し遅くまで遊んだからね。蘇芳くんが良いなら、俺が蘇芳くんをおぶって帰ろうか」
申し訳なさそうな顔が一瞬で輝くような笑顔に染まり、ほわりと胸があたたかくなった。
二つだった影が一つにまとまり、背中に温もりが宿る。
収まりのいいように抱え直す度に、楽しげな声が背で弾けた。
先ほどまでの眠気はどこへやら、蘇芳くんは前に回した腕で俺をぎゅっと抱き締めたり、足を軽く振ってみたりと忙しい。
その度にどきりとしたりびくりとしたりとこちらも忙しいのだが、幸い蘇芳くんには気付かれていないようだった。
ふう、と安堵の息を吐いていると不意に、くいと肩の辺りを引かれた。
「蘇芳くん?」
「お兄ちゃん、僕もう降りるね」
「え?」
咄嗟に邪な感情が露呈したかと危ぶんだが、蘇芳くんの手は名残惜しさを露わに、ぎゅうぎゅうとこちらを抱き締めてくる。
「まだ家まで距離があるよ?」
「……でもお兄ちゃん、疲れたでしょ?」
「いや、まったく疲れてないよ」
「あれ?」
「うん?」
二人、肩越しにきょとりと顔を合わせる。ぱちぱちと瞬く瞳が近い。
「……お母さんはあとで腕が痛くなっちゃったよ?」
「……、ああ」
なるほど、と深く納得した。
蘇芳くんは、触れ合うすべての行為が基本的に母親基準だ。父親はいないもののように振る舞う彼に、父親におぶられた経験などある筈がない。
小さな小さな頃からずっと母にだけねだり、そうして育って、あるとき腕をさすっている場面でも見てしまったのだろう。
しずめさんはその痛みすら成長の重みだと楽しんでいたのかもしれないが、蘇芳くんは少しだけ遠慮を覚えた。
そうやってお互い支え合って生きてきたのだろう。この親子は。
「蘇芳くん」
「?」
どうにも堪らなくなって、細い足を抱える腕に力がこもる。強まった拘束に、彼はただ不思議そうにこちらを覗き込んできた。
「お兄ちゃんはすごく力が強くて体力もあるから、平気だよ」
「……そうなの?」
「ああ。それに、」
「それに?」
ことりと首を傾げる。あまりに無防備な表情を自分に晒し、すべてを預けてくるこの子どもが、ひどく愛しいと思った。
「蘇芳くんと出会うまでの時間、俺は蘇芳くんと触れ合えなかったから、その分たくさん蘇芳くんとこうしていたいんだよ」
駄目かい、と尋ねた問いの応えは、喜びを溢れさせた歓声と、隙間なく抱き締めてくるぬくもりだった。