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Entichers

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気付くと、アパートの一室だった。
ぐるりと見回して見慣れた部屋の内装に溜息を吐いた。

木製のダイニングテーブルと椅子が二脚。
白いシーツで綺麗に整えられたシングルベッド。
ダイニングテーブルの上には置き時計が一つ。
ワンルームの小さな部屋。
見慣れた内装。
ここは。
どうして。
あぁ、俺は────。





ここは住宅街の中の少し入り組んだ場所にあるアパートの一室だった。
ジャンさんと俺がたまに挟む休暇をひっそりと過ごすために使っていた部屋。
これまでにどちらかが一人でこの部屋を使うということは無かったから、自分が居なくなった後にジャンさんはここへ訪れていないんだろう。
室内の空気は暗く澱んでいて、この部屋へ誰も出入りしていないことを表している。
テーブルの椅子もベッドも暫く使われた形跡もなく、全てがうっすらと埃を被っていた。
何故こんな所で目が覚めたのかは分からない。
部屋を出ようと扉に手を掛けても、ドアノブへ触れることもできず擦り抜けてしまう。
だからといって壁を擦り抜けることもできず、自分が触れられるのは部屋を囲む冷たい壁だけだった。
冷たい、といっても温度を感じることはないのだけれど。
目を閉じてそっと彼のことを思い出す。
太陽のように輝く髪と、眩しい笑顔。
「ジャン、さん……」
きっと声にはなっていないんだろう。
分かっていても、名前を呼ぶ真似をするだけで胸の奥がじんと熱くなるような気がした。
誰も訪れない、誰にも知られることのない静かな部屋。
そこで彼を想って過ごすのも悪くないのかもしれない、と。
部屋を照らす太陽を仰いでそっと目を閉じた。



この部屋で目覚めてからどれだけの時間が流れたんだろう。
一度も扉は開かれることなく、規則正しく時を刻んでいた針は動きを止めていた。
暑さや寒さを感じることは無かったが、毎日太陽と月を眺めて過ごしていた。
夜の冷たさや太陽の暖かさを感じることは無かったが、変わらない室内を眺めるより変化のあるものを見ている方が少しだけ気が紛れるような気がした。
そんな理由だけでいつも通り外を眺めていたが、その日は急に降り出した雨で視界は遮られていた。
この時期のデイバンで、通り雨が降ることは珍しくない。
水滴がコンクリートを打つ音と、ガタガタと窓を震わせる風の音に耳を傾けていた。
それらの中に硬い靴底がアスファルトを蹴る音が混ざる。
警戒に身体を固くするが、徐々に近づきはっきりする足音に胸が高鳴っていく。
期待しては、いけない。
でも、この音は。
「あーあーもう、まさかこんなに降られちまうなんて…」
乱暴に開けられた扉の先に現れたのは、何度も何度も恋い焦がれた姿だった。
開いた扉から差し込む光に照らされた眩しい金髪は、雨に濡れて顔の周りに貼り付いていた。
彼は水滴を払うように頭を降り、それと同時に不自然に膨れたジャケットから小さなかたまりが飛び出した。
何が飛び出したのかと目を向けると、そこには小さな子猫が、いた。
彼の懐で守られていたおかげで、少し汚れて灰色かかった毛は暖かそうに膨らんでいた。
「おー、えーっと。どっかにタオルあったはずなんだけど」
子猫にそこまで話しかけると、彼は室内をゆっくりと見回した。
窓際に立つ俺に気付くことは無く、ジャンさんはクローゼットを開けてごそごそと中身を探り始めた。
懐かしい姿は、鮮やかに残る記憶の中の彼より少し儚げに見える気がする。
「ジャン、さん…」
届かない声が拡散して、溶けて、消える。
ピクリと耳を震わせて、紫の瞳がこちらを捉えた。
何物にも映らない自分の姿が見えているのだろうか。
「おっ、あったあった。やっぱりまだ濡れると寒いな。お前は大丈夫だったかー?」
引っ張り出したタオルを被り、子猫の側へ戻り視線を合わせるように座り込んだ。
「濡れてなくて、よかった。もう、お前って美人ちゃんなのにな。そんなに汚くちゃわかんねぇな。」
子猫をまっすぐ見詰めて、彼は屈託のない笑顔を浮かべる。
「あー。やっぱりお前って、うちのワンコと同じ色なんだな」
彼は懐かしそうに眼を細め、子猫を高く掲げるように抱き上げた。
「あいつにも、お前を見せてやりたかったな」
ゆっくりと子猫を床へ戻し、その頭に優しく掌を乗せる。
その重みに喉を鳴らした後、紫色の瞳が再びこちらを捉えた。
やはり、気付いているのだろうか。
「…なんだぁ?」
一点を見詰めて動かない視線をたどり、不思議そうに首を傾げる。
紫の視線を辿った金色の瞳が、自分を捉えたような錯覚を覚えて体が震える。
眉を顰めながら、彼がゆっくりと近付いてくる。
「にゃあ」
突然響いた小さな鳴き声に、足を止めて振り返った。
「ここに何かいるのか?」
子猫は同意するようにもう一度「にゃあ」と泣き、彼は両足を揃えて姿勢を正した。
「ここにねぇ…」
何かを考えるように腰に手を当て、彼は首を小さく傾げた。
「ジャン、さん…?」
そのまま動かなくなってしまった彼に、声を掛けるが勿論耳へと届くことはない。
床へ向けられていた金色の視線がまっすぐにぶつかる。
「…………、ジュリオ」
自分を呼んだ懐かしい声にざわりと肌が粟立つ。
思わず触れることのできない温もりを確認するように手を差し出す。
「もし、ここに誰かいるっていうなら、お前なんだろうな」
問い掛けるようにひとりごちて、彼は弱々しく笑った。
名前を呼ぼうとして開けた口を、不意に塞がれる。
正確には、触れていないから塞がれてはいないのだけど。
彼から自分は見えていない筈なのに確かに唇と唇は重なっていて、そこから温もりが流れてくるような錯覚を覚える。
「……………あー。なに、してんだか…」
一瞬の啄むような口づけの後、溜息を一つ吐いて、金色の髪を掻き回して顔をしかめた。
「お?あ、晴れたな」
いつの間にか、窓を叩く水音は止んでいて雲の隙間から光が覗いていた。
「よーしお前、帰るぞー。早く帰らねーとベルナルドの前髪に悪いからな」
踵を返して離れていく背中に、今すぐ近付いて、腕を回して、抱き締めたいのに。
「…ン、さん……ジャンさん……、ジャン………」
届かない名前を繰り返すうちに、頬に濡れた感覚が伝う。
「ごめん、なさい…」
何を。
言葉を口にした後、何に自分は謝ったのかと自問した。
わからない、けれど。
「ごめんなさい、ジャン…」
ゆっくりと繰り返した言葉はいつか届くだろうか。
開いた扉から差し込む光の中に、眩しい笑顔が重なる。
蝶番の軋む音に、強く瞼を閉じた。

作品名:Entichers 作家名:おさかな