夜の果てる場所
話はこの僕の一言で始まった。
◆
「夜の果てる場所なんて本当に存在するのかい?」
「するよ。だって、イギリスさんは物事には必ずはじまりと終わりがあるって言ってたから」
今、僕はアメリカと肩を並べてずっとずっと東の方に向かって歩いていた。
紺色よりもずっと黒っぽい空には一つまんまるく太った月と、無数の星がばら撒かれていてとても綺麗だった。いつかイギリスに行った時とは大違いだ。
イギリスさん曰く、ここはまだ未開拓だからこんなに綺麗らしい。いつか人がもっと増えて、もっと知恵をもったらこの道も、その左右に生える沢山の植物達も失われてしまう。そうも言っていた。ただ、それももうずっと前だ。
最近、イギリスさんはこっちの家にあんまりこなくなった。たまに分厚い書類が送られてくるけど、それだけだ。嫌われたのかなって不安になってアメリカに相談してみたら、アメリカはそんなわけないって笑ってたっけ。それさえももうずいぶん前の話。
忙しい、それも僕たちのせいっていうのはわかってる。だけど、さみしい。
ただ、今回ばかりは彼がいなくて助かった。過保護な彼はきっと、僕たちが夜中に外を出歩くなんていったら絶対に許してくれなかったと思う。普通は鬱陶しいはずのそんなことさえ、無ければ悲しくなってしまう自分がとても弱いと思った。
「だけど――始まりと終わりがあっても、始まる場所と終わる場所があるとは限らないだろう? 帰ろうよ。寒いんだぞ」
「そんなのわかってるよ。ないっていう可能性もあるけど、探してみたいから付き合ってよ」
自分が普段よりずいぶん強くものを言っているような気がした。
遠慮してばっかりで影が薄いって思われても慣れてしまった自分がこんなに強くものを言えるなんて思っていなかった。
アメリカも、僕もそのことに驚いてしまった。
「カナダがそこまで言うならきっとそれはすごいことなんだろうな。わかった、付き合うよ」
「ありがとう」
僕たちはまだ舗装されていない道をのんびりと歩いていく。宛はなく、ただただ東へとだ。
太陽はどこであろうと東から昇り西へ沈む。そう教えてくれたのもイギリスさんだった。
僕が、僕たちがまだ小さい子供だったころいろんなものをもたらして、教えてくれた。僕を少しづつかえていった。アメリカはともかく、僕って昔はフランスさんの家にいたから、そのときの癖はなかなか抜けなかった。けれど、イギリスさんは少しは嫌がるもののそれだけだった。そして、その記憶をなんども自分で塗り替えようとした。
僕はそれが嬉しくて誇らしくて、でもやっぱり譲れない場所もあった。
今の僕がこう不安定なのはきっとそのせいなんだろうな、と月を見て思う。
不安定、なのは僕だけじゃなかった。
アメリカも最近妙にイライラすることが増えた。僕にたまにあたったりして、そのたびに何十回も謝られて、僕だって気が気じゃなかった。
最近何かがおかしい気がするんだ。
あの太い書類が届き始めたころから何かが変わってきてしまったような気がしたんだ。
「イギリスさんのこと嫌い?」
「なんだい、いきなり」
「ごまかさないで」
「……嫌いじゃないと思うんだ。でも、好きっていう自信がない」
アメリカはぽつりとつぶやく。
顔をのぞき思うとすると、ちょうど月の光の影になて見えない。
いつになく弱気な声で言われると、心配になってしまう。
だけど、これ以上深く突っ込むことはできなかった。そんな勇気僕になかった。
「もしも、もしもの話。俺がイギリスさんと戦うとしたらどっちにつくかい?」
しばらくしてアメリカは小さな声でそう聞いてきた。
サクサクと僕たち二人分の足音が闇の中を響いていく。
僕はちょっとだけ迷ったあと、はっきりとこう答えた。
「イギリスさん」
「なんでだい?」
「僕は、このままでもいいと思うんだ。何も変わらなくても。だから、僕はイギリスさんにつく。これでいいかい?」
嘘みたいにはっきり答えた自分がいた。
はっきりと嘘を答えた自分がいた。
何も変わらなくてもいいなんて思ってない。
変わるのが怖いだけなんだ。
「もしも、もしも俺が君を誘ってもかい? もしも俺が君に兵を向けようとしても」
「そしたら撃退する。これが僕の生き方」
かっこいいことを言ってみたけど、そんなふうに本当に動ける自信は無い。
ただ、言ってみたかっただけだ。
「そうか。そうだな、そうなんだ」
アメリカは何かを自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「さて、あともう少しなんだぞ」
◆
もうしばらく道を歩いていくと広い広い海岸にたどり着いた。
目の前には藍よりずっと深い色の海が広がっている。
そして――。
「あ……」
その端っこに小さな光を見た気がした。
次の瞬間それはもっともっと大きくなり、地平線を包み込んでいく。
「夜の果てはあったんだ……」
闇は光に食われていく。少しづつ少しづつ食われていく。
それはまるで光が闇の重圧から解き放たれるようであった。
さっきまで静寂が包み込んでいた世界に波の音が侵食してくる。
ゆったりゆったりとした静かな世界の鳴き声は僕とアメリカを包み込んで。
「すごい」
「うん」
しばらく僕たちはこの場を動くことができなかった。
◆
「おーい! おまえら」
ふと気がつくと後ろの方かある人の声が聞こえてきた。
もういつから聞いてないのかも忘れてしまったような、そんな懐かしい声。
「イギリス……」
「久しぶりに来てみれば家にいねーし、適当に足跡追ってみたんだがまさかこんなとこにいるとはな」
イギリスは心底楽しそうに言う。
「ここはさ俺がお前を見つけたときに船をつけた場所なんだよ。行ってみれば俺とアメリカの始まりの場所だ」
「そうかい」
「カナダを見つけたのはもうちょっとあとだったな」
「へー」
「ま、詳しくは自分で調べろよ」
イギリスはそう投げやりに言うと、こっちに向かって少しづつ歩いてくる。
「んじゃ、帰るぞ。色々買ってきたから後でみせてやるよ」
「イギリス、ありがとう。くたばれ」
「お前って奴は」
二人は変な掛け合いをしながらきた道を戻っていく。悪態をつきながらも二人はものすごく穏やかな表情をしていて――
「待ってくださいよー」
――僕はそれだけで満足だった。