この夜が死ぬまで
※捏造あり
朝と夜、どちらも一日の半分にあたるもの。
明るい朝、暗くなる夜。どちらかが沈めば、どちらかは上る。
それは必ず対極の立場にあった。
「上がらせてくれませんかねえ?」
そう言って底の見えない笑みを自分に向ける。
この人が浮かべる笑みには幾つもの種類があるから注意が必要だ。
現に今も浮かべている笑みが黒い。
いつもと何ら変わらないと思ったら、そこで終わりだ。
気づかない内にこの人の手の中に落ちている。
だから、あまり心を揺らさないよう、感情を出さないよう冷静に、言葉を紡ぐ。
「どうぞ。何もありませんが」
「いえいえ、お構いなく」
自分の返答に気を良くしたのか、さっきよりも雰囲気が少し和らいだ気がする。
思いなしか詰まっていた空気が一掃されたように新鮮で張り詰めていた分、気が楽になった。
沸かせておいたお湯を湯飲みに注ぐと卓袱台に移動する。
「粗茶ですが」
「いただきます」
手渡した時に彼の指とほんの少し触れ合った。
ただそれだけなのに、僕の体は強張る。
そんな僕の様子を見ながら彼はくっと笑った。
「指先同士が擦れただけなんですけどねえ…」
その言い方にまだまだ子供だなと言われているみたいで、腹が立った。
挑発しているようにしか見えないけれどここで誘いに乗れば彼の思う壺。
静かに、できるだけ穏やかに、そう心を鎮める。
「それでも、貴方の前だと緊張するんですよ。仮にも恋人ですから」
「おや、仮とは随分な物言いですね」
「ええ。自分たちの関係はまだ正式な恋人ではないので」
棘のある話し方をする自分を見て、大人の余裕というものを見せて笑う。
その不敵な笑みが何もかもお見通しだと見透かしているようで、苦手だ。
「──まだ、か」
口角を引き上げた頬にうっすら寄る笑窪。
それが僕と彼との差。年の差を表していた。
「ええ……まだ、お試し期間です」
成る丈、子供っぽい行動には気をつけているつもりだ。
まあ行動でなくても言動が先に動いてしまうのは仕方ない。口達者なこの人に勝てないとは知りながらも、懲りずに挑んでしまうのも、ある種の自分なりの好意だと自覚しているから。
「末恐ろしい餓鬼だ」
「光栄です」
お茶を啜りながら空気が湿っぽくなるような会話をする。
毎回毎回、こんな面白くも何ともない話の繰り返し。
けれど会話が途切れたことは一度もなかった。
それはどうしてだろうと考えてみて、結局答えは出なかった。
「それで、そのお試し期間とやらはいつまでだ?」
「明日まで、ですかね」
「ほう、なら、何年も通い努めた甲斐があるな」
「そうですね。何年も酔っ払いの中年よろしく、いきなり拉致紛いなことをされれば誰だって折れます」
「……本音は?」
「四木さんの一途な想いに胸打たれました」
「そりゃあ良かった」
電球がやけに眩しい。
視線を窓に視線をやれば、外はもう真っ暗で電柱に電気が灯っている。
そんなに話し込んでいたのか、気づかない内に夜になっていた。
そう、夜だ。
「今日は、泊まっていきますか?」
この夜が終わった頃には、今の自分はいないだろう。
そして今の自分とはまた違う、自分がいるのだろう。
「いや、日付が変わる前には帰るが…──お前が心を決める時まではいるさ」
まるで、この夜と一緒に今の自分が死んでしまうのではないかとさえ、思ってしまう。
この夜が死ぬまで