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離せない

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 辺りは一面に闇の色をしていた。濃紺ではない。黒とも言えない。そこに何があるのか、なにもないのかすら判らない、ただ一面に、闇が広がっていた。恐怖なのか淋しさなのか、なにを感じればいいのかも判らない。その中で、おそらく自分は立っている。自分という存在はここにあると信じたかった。
「大丈夫だよ」
 突然響いた声。心配しないで、と優しい声だった。そして声と同時に感じた手に触れる人の温もり。伝わる温かさはきっとこの声。何も判らないこの場所で確かなもの。気づくのは簡単なことだった。その存在を離したくないと、触れていた手をぎゅっと握る。確かにある温かいあの人の手。
「大丈夫だからね」
 また、声。何も見えない闇の中、すぐ右側から聞こえる、優しいいつもの声。その声にしっかりと頷く。感じていた戸惑いにすぅっと入り込む声が心地よく、微笑みすら零れてきた。

 その、心の緩み。

 心配はいらないからね。また聞こえた声は少しだけ寂しそうだった。そう思った時、すっと温かさが消えた。掴んでいたと思っていた手の形さえ跡形もなく−−消えた。



 兵太夫はゆっくりと目を開けた。徐々に開ける視界に入るのは、見慣れた木目と、幾本もの仕掛け用ロープ。
 夢を見ていたようだ。それだけがはっきりとわかった。先ほどまで感じていたのが、なにもかもを塗り潰してしまうような闇と、恐怖や憎悪だけだと思い出せる。この世界ではありえないだろう感覚。なんともぞっとする、あれは悪夢だ。
 振り払うように首を振り、兵太夫はゆっくりと息を吐いた。そして自分の全神経を現実へと向ける。部屋の中には人の気配が一つ。同室の三治郎の、遮られない安らかな寝息が聞こえる。
 初めてかもしれない。三治郎の寝顔を見れるなんて。少しうれしくなって体を起こし、三治郎の顔を覗き込んでみた。しかし、微笑みすら浮かべた表情に、その感情はすぐにイライラに変わる。幸せを邪魔したい。鼻をつまめば邪魔できるかな、と考えたが、そのあとの仕返しが怖いからやめた。情けないが、彼にだけは今だに勝てないから。
 ため息をつくと、兵太夫はそのまま立ち上がった。布団を軽く畳み、静かに部屋を抜ける。まだ夜は明けていない。閉めた戸の向こう側で、規則正しく響く音を確認し、その場を去った。



 上がった息を整え、兵太夫はできるだけ静かに井戸へ近づく。静かに、静かに、気づかれないように。部屋ではなくこんなところにいるなんて。やっと見つけた探し人は、洗った顔と手を丹念に拭いている。気づく気配はいっこうにない。そっと手を伸ばして、その手に触れる。
「わぁ! へ……兵太夫っ!?」
 短い悲鳴をあげて、団蔵は振り返った。しかし兵太夫はそれを見ようとはしなかった。しっかりと握った手を見つめたまま俯いていた。
 言いたいことはたくさん有った。散々探したことや、今日に限った早起きについて。なんだって言えるはずだった。しかし、兵太夫が静かに呟いたのは今の不平だけだった。
「冷たい……」
「……今顔を洗ったところだからじゃないかな」
「それにしても冷たい」
 顔はあげない。むすっとしたように声を出し、それ以上には何も言わなかった。
 しばらく無言の状態が続いた。ほんの短い間だったが、痺れを切らしたらしい団蔵が体ごと兵太夫へ向くのを感じた。
「何かあった?」
 ゆっくりとした声は、顔を覗き込むことはない。ただ握られていない手を繋いだ手に重ねて、優しく答えを待つ。
 そう、この手とこの声。気を抜くと失くなってしまうかもしれない暖かさ。今度は、離さない。少しだけ、握った手に力を入れた。
「なんで?」
「だって兵太夫から手を繋いでくるなんてめずらしいじゃん」
「そう? 別にただ驚かそうと思っただけ。でもあまりにも団蔵の手が冷たいから、僕の方が驚いちゃったじゃないか」
 ごめんね、と団蔵は笑う。きっとじっとこっちを見て、暖かい目をしてる。
 その優しい声は、ゆっくりと囁く。
「ねぇ、このまま少し温めてよ」
 ねぇ、という念をおす声に、兵太夫はゆっくりと顔をあげた。ゆっくりと、団蔵の顔が視界に入る。柔らかく上がった口角と、淡く見つめる瞳と――それは、あまりにも予想通りの微笑み。
「しょうがないなぁ」
 つられたように兵太夫は笑い、両手で団蔵の手を包む。優しい声が、暖を求めてきたから。ただただ向かい合って、手を握って、顔が見えて、笑っていて。
 あぁ、もうこの手は離れない。



Fin.
(そうだ、彼にだって勝てないんだ。)
作品名:離せない 作家名:きょう