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物体もじ。
物体もじ。
novelistID. 17678
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泡沫 天球02

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 出会って、ようやく見つけた。


 これから、きっと長い時を照らしてくれる、道標。


 いろいろなものが変わるのだろう、と覚悟して、また期待していた。



 ひとつ、ひとつ。



 変わっていくのだろうと。



























B/泡沫

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 まず連れていかれたのは、タイル張りの、彼の目から見れば広々とした部屋だった。

 床も壁も、白いタイルが隙間なく詰められており、一方の壁には何やら凝った細工の額飾りの付いた鏡が掛けられている。

 ジェイドは、しばしその部屋を不思議そうに見回して……壁際に設えられた陶器のバスタブを発見し、ようやくここが浴室であることに気づいた。


 今まで彼が知っていたのとは明らかに違う、その豪奢な造りに唖然とする暇もなく、今まで着ていた粗末な服を脱がされ、身体を持ち上げられ―――それは、どう見ても抱き上げられた、ではなく持ち上げられた、としか言いようのない扱いだった―――て、バスタブの中に放り込まれる。

 間髪入れずに、その身体の上から、少々熱過ぎるくらいの湯が降ってきた。



「っ……」



 久しく浴びることのなかった暖かい刺激に、その感覚を忘れていた身体が過剰に反応してしまう。


 けれど、反射的に丸まったジェイドの両脇の下に彼の倍は太いだろう腕が差し入れられ、バスタブの中に少年を立ち上がらせた。



「立っていろ」



 短く命じられた言葉に、ジェイドは小さくうなずく。


 ようやく湯の温度に慣れ、彼をここに放り込んだ男の動きを目で追っていると、しばらくこちらに背を向けていた相手はほどなく両手に何かを持って戻ってきた。

 いくつかのボトルと、石鹸、それにスポンジ。

 バスタブの脇に立った男は、抱えていたそれらを足元に置いて、ジェイドを手招いた。



「…………?」

「随分汚れているな」



 男は素直に寄ってきたジェイドの腕を取り、にこりともせずにそう呟いて、泡立てたスポンジで彼の身体を擦り始める。


 そこまでされて、ようやくジェイドは自分が「洗われる」のだ、ということを理解した。


 育ててくれた夫婦を失ってからは、思い出しもしなかったその行為。

 こうして湯を浴びるのも、石鹸の匂いを嗅ぐのも、そう言えば、本当に久しぶりのことなのだ。


 そのことに思い至り、ジェイドはほんの少し、うつむく。


 それも仕方のないことなのだと、こども心にぼんやりとは分かっていたが、それでも、この浮浪児そのものの薄汚れた姿が、目の前の男にはどれだけみすぼらしく映ったことだろうと。

 情けない、という感情を、彼はまだ理解してはいなかったが、このとき少年の胸に過ぎったのは確かにそういう気持ちであった。



 彼を泡だらけにしていた男は、そんなジェイドの様子には気づかないようで、一度全身を湯で洗い流し、足元に置いたボトルから液体を手に取る。

 匂いからして、洗髪剤の類いだろうと予想した少年は、ぼうっと男を眺めていたが、その手が髪に触れ、無造作に洗い始めたとき……不意に。



 湧き上がるような感情を、おぼえた。



「っ……Nein!!」



 ばっと、仰け反るように男の手から、逃れる。

 唐突な動きに飛ばされた泡が、少年の顔にも、彼を洗っていた男の袖をまくった腕にも、張り付いた。


 驚いたように目を見張った男に対するジェイドの翠の目が、束の間戸惑うように揺れ、やがて萎れるように伏せられる。



「……自分、で……出来ます……」



 いきなり、振り払ってしまったのだ。

 咎められるかもしれない。


 けれど、じっと、足元の排水口に吸い込まれていく白い泡を睨みつけているジェイドに、男はただひとこと、



「そうか」



 とだけ、返す。

 そこには特別感情は表れてはおらず、ジェイドは安堵も覚え、同時に、余計に心が波立ったのまた……自覚した。



「ならば、洗い終わったら、来なさい。さっきの部屋は覚えているな?」

「……Ja」



 濡れて張り付いた髪と、まとわりつく泡に邪魔された視界の中で、男の手がふと上がるのが見えた。

 けれど、その手は結局ジェイドに触れることはなく。


 うつむいたままの少年に背を向けた男の姿が、曇り硝子の張られた浴室の入り口の向こうに、消えた。



 ひとりで白いタイルに囲まれた耳に、やけに流れっぱなしの水音が付きまとう。



「―――──」



 足音が完全に、聞こえる範囲から消えたのを確かめて。

 排水口を睨みつけながらジェイドは口の中だけで呟き、勢いよく流れるシャワーに頭を突っ込んで、泡をすべて洗い流した。






























 粗末な衣服に包まれたちいさな身体は、ひどく汚れていた。


 それも無理はないだろう、とブロッケンJr.は思う。

 詳しいことは何も言わないが、あの少年は言葉少なに、それでも両親はいない、とだけ語った。

 親の庇護もなく、超人とは言え、あんな幼い子どもなのだ。恐らく、食べることだけでも精一杯だったのだろう。

 実際……ブロッケンJr.自身とて、これまで20年間余り、着替えや身だしなみなど、さほど気を使ってなどこなかったものだ。



 それでも、あの汚れた少年を見て、不思議なほど……哀れみを感じのだ。


 細く頼りない手足は、それでも超人特有の回復力のおかげか傷らしいものなどは見当たらなかったが、すり切れた服と、すっかりくすんでしまった肌が、哀れで仕方がなかった。


 そう思って……そんなことを感じた自分自身に、苦笑した。


 それほどに、自分で思っていたよりもずっと、目的のひとつも見出せなかった時間が苦しかったのか。

 だから、ようやく現れた情熱の受け皿……ほんのついさっき知ったばかりの少年に、ここまで肩入れしてしまうのか。


 まあ、どうでもかまわない、と彼は思う。



「ジェイド、か……」



 ふと、浴室で髪を洗ってやろうとして振り払われたことを思い出す。

 泡だらけの髪に隠れた顔の中で、翠の瞳が泣きそうに歪んでいた。


 髪に触れられるのが嫌なのだろうか、と思って深くは考えなかったが、どうもあの少年は、自分から押しかけておきながら、まだこちらに対する警戒を解いてはいないらしい。

 最初に湯をかけたときの仕草といい、まるで野生の動物の仔を相手にしているような気もする。


 まあ、さすがにあの子は牙だの爪だの立てはしないだろうが。





 そんなことを思って苦笑を漏らしたのと、ほぼ同時に。


 きぃ、と、座る彼の正面にある扉が鳴った。










作品名:泡沫 天球02 作家名:物体もじ。