セルフアナトミー。
どうして。どうして。どうして。
問い続けていれば、せめてその間は、解らずにいられるだろうか。
それとも。
セルフアナトミー
蛍のように柔らかい、けれど人工的な光が携帯端末(PET)の画面を彩っている。持ち主の性格を表すようにごくシンプル、かつ機能的に整えられたその中にはしかし、本来在るべき存在がない。
きしりと、深く身体を沈めたソファがあるかなきかの音を立てた。黒い革張りのソファも、決済済み書類を放り出したデスクも、ブラインドを下ろした部屋のすべてが暗く闇に混ざる中、PETの光を受けた前髪だけが白く、淡く浮き上がる。
その下で、蒼色の瞳が凝っと、端末画面を見ていた。メールの着信を知らせるべくアイコンが点滅している。いつもその役目を担っていたものの不在を強調しているようだ、と思う。
「―――熱斗から、か」
つぶやいて、炎山はPETの蓋を閉じた。ほんのわずかばかり、辺りを照らしていた炎が消え去り、代わりのように今度はブラインドが眠らない街の明かりをぼんやりと伝える。
今ごろ、あいつもこんな闇の中にいるのだろうか、と炎山は考える。その中で、安らいでいるのか、引きずり出された猛りを持て余しているのか。
葛藤。逡巡。決断。実行。結果。
襲い掛かるように、庇護するように、覆いかぶさった昏い意思。
迸った声は、解放の雄叫びか、消失の悲鳴か。
解らない。「合理」という指標(キィワード)でつながれたオペレーターとナビ、主と従。その絆がとても希薄に感じられて。自分(炎山)は変わらないのに、ナビ(ブルース)に流し込まれた獰猛な感情が―――
ちがう。
そうじゃない。
流し込まれたわけじゃなく。
忙しなく、PETの蓋を開ける。指に染み付いたチップの感触の幻影。暴れ始める思考に制御(ブレーキ)が掛けられない。柔らかく光る画面(ディスプレイ)。誰もいない無機質な中、ちかちかと控えめに存在を主張するシグナル。
熱斗からのメール。開くことが出来ない。
「お前の役目なんだ、ブルース」
だから。だけど。ならば、どうしよう。
ごまかすように、着信を知らせる熱斗のフォルダを避け、仕事用のものを開く。今日の報告を読み、明日の予定をこなすためのスケジュールをつくる。自分で。
「……お前の」
ぐっと、一度だけ強く、PETを握り締めた。組み立てた予定、けれどアラームは設定しないまま。日付けが変わるのと同時に、アイコンだけがちいさく画面に表示された。
どうしているのだろう。獰猛な意思を剥き出しにした、それでも変わらず、かけがえのないあのパートナーは。今こうやって、彼が何も出来ないでいる間に。
憤りがある。自分からナビ(ブルース)を奪った敵への。そうせざるを得なかった状況への。
それをゆるした、自分への。
―――けれど。それでも今、炎山は。何も出来ない。どうしようもない。
ナビ(戦うすべ)は、すでに失われてしまった。この背に在ったはずの翼は片割れを失い、飛び上がることもままならないくせに、傷を広げ惜しげもなく血を流しながら、ひたすら、足掻くように羽ばたき続けている。
爪を。牙を。猛りを。
持て余しているのは、炎山(自分)のほうだ。
飛び出したい―――けれど、何処へ。
叫びたい―――けれど、何に。
爪を、牙を、突き立てたい―――けれど、どうやって。
もがれたのは、片翼だ。その瞬間、牙も、爪も、折れることのない心でさえ、意味のないものになった。
戦うための技も、知恵も。すべて何ひとつとして変わってはいないのに、それらすべてが自分では重すぎて、大きすぎて、残された片翼だけではもう、どうにもならない。
今にも泣き出しそうに歪んで、そのくせ真っ直ぐに過ぎる決意を浮かべた顔。それとどこか似た、静かな気遣いを乗せた幼い顔。無念そうな、諦めたような、馴染んだはずの顔。
どうして、あんなことに。どうして、こんなことに。
そう、自分は問い続けなければならない。気づいてはならない。解ってはならない。
いつの間にか、手指に痕がつくほどに握っていたPETを、次々に浮かぶイメージと一緒に、暗い机の上に放り投げる。かつてやったことのない乱雑な扱いも、今はそれこそが相応しいと思った。
硬い音を立てて転がったPETはちょうど画面を上にして止まり、プラスチックのブラインドから仄かに部屋を照らす外の明かりに応えるように、ちかちかと弱い光が明滅する。
それから目を逸らせるように、ソファに全身を預け、上を仰ぐ。瞼にかかる前髪ごと、顔を右手で覆った。
PETに届くメールは、開けないまま。
問い続け、気づかないまま。見開いた目を、自分の中の何かから、逸らしたまま。
それなのに、熱斗に会いたいと……そう、炎山は思った。