usual
「なあっ」
「無視すんなってば!」
「炎山っ!!」
いつの間に、そうなったのだろう。
「何だ」
呼ばれた名にくるりと振り返れば、思いっきり睨まれた。
「何だじゃねーだろ。人が呼んだら返事くらいすぐしろよな」
「後ろから『おい』と言われたからって、返事などするか普通」
「声で俺だって分かるじゃん」
「礼儀の問題だ」
「へーへー」
炎山の後ろ姿を見かけて走ってでもきたのだろう。息を弾ませた熱斗が追いつくのを待って、2人、並んで歩き始める。
仮にも政府の機関である科学省の中、しかも研究室の並ぶ辺りにいるのは当然ほとんどが白衣を着た大人ばかりだが、とうに顔の知れ渡っている子どもたちを不審の目で見る者などはいない。
通り過ぎる顔見知りの研究員たちと挨拶を交わしながら、足の向く先は科学省のエントランス方向。
「って。炎山、もう帰んの?」
「もう、じゃない。科学省との打ち合わせは終わった」
「あ、今日はそっちの用事なんだ……あれ?」
ふと足を止めてきょろきょろと辺りを見回し始めた熱斗を2歩先で振り返り、炎山は首をかしげる。
「何をしている」
「うん、いつも一緒にいる秘書の人たちは?」
「先に行って入り口で待つように言ってある」
「何で」
「少し……個人的用事があったからな」
「ふーん」
跳ねるように追いついてくる熱斗に軽く息をついて、再び歩き出しながら、それ以上突っ込まれなかったことに安堵すべきか残念に思うべきか、炎山は少しだけ迷った。
気づかれても気恥ずかしいが、まったく気づかれないというのも……物足りない、ように思う。
「あそーだ炎山。お前、次の土曜とかヒマ?」
「暇ではないが……何かあるのか」
「近くのゲーセンにさー、新しいバトルマシン入ってんだ」
「夕方なら、な」
「っしゃ! 約束したからな!? 仕事とか入れんなよ!」
「了解」
思いのほかあっさりと得られた承諾に、熱斗は小さくガッツポーズを取った。
見るからに浮かれ始めた彼にすれ違う大人たちが微笑を向けるが、そんなものは熱斗の目には映らないらしい。
炎山がそれに自然と顔をほころばせながら、後でブルースにスケジュールの調整をさせようなどと考えているうちに、2人はエントランスホールに出る。
観光客も含めたたくさんの人間がいる中に見慣れた者たちの姿をいち早く見つけて、炎山は内心ため息をついた。
仕方ないと頭と表情を切り替えれば、自然と足取りにまで変化が出る。
早足で近づくこちらに向こうも気づいたらしく、腕時計を確かめてから歩み寄ろうとするのを制そうと上げた袖を、熱斗がくいっと引いた。
「じゃ、土曜にな、炎山」
「あ、ああ」
手を振って離れていく熱斗を目で追う暇もなく、秘書の声に急かされる。
炎山の「ごくごく個人的な用事」の間、ずっと待たされていたのに何も聞かない彼らに、これ以上時間を取るわけにもいかないけれど。
「副社長、そろそろお時間が」
「……ああ」
促されて熱斗とは反対方向に歩き出す寸前、湧き起こった衝動に、気づけば振り返って声を上げていた。
「光!」
もう何メートルも離れていた熱斗は、それだけでこちらに視線を戻す。
「何だよ炎山!!」
投げ返された声に、炎山は笑みを浮かべた。
何故だろう。彼が自分の声に応えた、ただそれだけの、当たり前のことが、途端に心を安らがせる。
「いや。後で連絡する」
「えー? 変な炎山」
半眼になる熱斗に今度こそ背を向け、ひらりとおどけて手を振った。
「すまない。待たせたな―――行こう」
「はい……いいえ、副社長」
遅れて気づく。
いつの間にか……本当に、自然にそうなっていたのだけれど。
当たり前だから嬉しいのか、と。