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物体もじ。
物体もじ。
novelistID. 17678
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 メトロに乗って、秋原町を出て目的地へ向かう。熱斗はまだ小学生なので、運賃はかからない。

 最近思うことだが、どうせ無料なのだし、いっそのこと、定期券でも発行してもらえないものだろうか。だって、こうも頻繁に行っているのだし。いちいち切符を買うのは 面倒くさい。


 もはや、駅を数えるまでもなく分かる見慣れた駅で降りて、まるでそこに家でもあるかのような気安い足取りで階段を上がる。

 さすがに目をつぶっても歩けるとまでは思わないけれど、本来なら何の関係もないはずの場所にしては、知り尽くしている、と言ってもいいだろう。


 いわゆるオフィス街、と言うのだろうか。何かの会社のビルと、そこに勤める人たちをターゲットにした、小学生には少々敷居の高い飲食店ばかりが並んだ場所に、熱斗は明らかに場違いだ。このあたりには子どもの目を惹くようなものは何もなくて、通りすがる大人たちが、時おり不思議そうな目を向けてくる。

 彼らは、熱斗が当然のような顔をして、国内でも屈指の大企業のビルに入っていくのを見て、一体どう思うのだろう?

 そこに親でもいると思うのか、それとも学校の課題の会社訪問か。


 まさか、そこに単に友人を訪ねて行っているとは、きっと夢にも思わない。



「よっ」

「また来たのか」



 何かもう知られているらしく、誰に止められることもなく、副社長室まで一直線。

 入った瞬間に嫌な顔をされたけれど、本当にそう思ってるわけじゃ、ないと知っている。


 だって、そうだったら、ガードマンにでも言っておけば良いのだ。子どもを入れるなと、ただそれだけ。

 だけれど、彼は―――伊集院炎山は、絶対にそれをしない。



「なあ、炎山。俺思ったんだけどさ~」



 お決まりの場所になってしまった、居心地の良いソファに陣取って、相変わらず机で何か書類とにらめっこしている炎山に、言ってみる。



「秋原町からここまでの、定期とか欲しいよな」

「何のために」

「もちろん炎山とこに遊びに来るために」



 言ったら、思いっきり睨まれた。

 どうせ、いい加減にしろとか、そういうことを思っているんだろう。ある意味、彼は分かり易い。



「いい加減にしろ。ここは遊び場じゃない」

「ほら、やっぱり」

「……何だと?」

「そう言うと思ってた、ってこと」



 へらっと笑って、熱斗はソファに転がった。炎山の顔が見えなくなって、代わりに、天井で廻り続ける空調ファンのゆっくりとした動きが視界を占める。


 いい考えだと思ったんだけど。


 そう、口の中だけで言う。いつでも会いに来れるという安心感(いや、どのみち運賃はタダなのだから、いつでも来れるということに変わりはないのだけど)は、悪くない はずだと。

 それは炎山の側から見れば、今まで以上にいつでも遠慮なく押しかけられる、ということになるが、それでも、仕事の邪魔をしたことなんてほとんどないはずだ、と熱斗は確信している。


 だって、自分が遊びに来ているからといって、炎山がかまってくれることなんて、まず、ない。

 邪魔のしようもない。



「ちぇー……」



 くるくる廻る白いプロペラに向けて、不満だけを昇らせる。吹き散らされて、炎山のところまで届けばいいのに、と思いながら。


 書類をめくる紙の音がしばらく沈黙を埋めて、それから、不意に、ぽつりと熱斗のものではない声がした。



「―――俺だって、別に、四六時中ここにいるわけじゃない」

「え?」

「定期があったところで、さほど意味がない。と言ったんだ」



 見るともなしの視界の中で、プロペラがゆっくりと止まった気がした。


 がばりと身体を起こせば、いつも通り、こちらを見もしない炎山が、まるで何も言っていません、というような態度で、書類をまとめている。

 思わずまじまじと見つめれば、ことさらに視線を合わせないようにして、彼はぽつりとつぶやいた。



「そんなものが、必要か?」



 大きなパソコンの向こうに、不機嫌な顔が隠れる。視線でそれを追いかけようとして、出来なかった。

 わざとらしい音を立ててファイルを閉じ、言うべきことは言った、とばかりに口をつぐんだ炎山に、部屋が再び沈黙に沈む。


 ざわざわするものが胸に生まれて、それが何かも分からず、熱斗は困惑した。


 下腹が、むずむずする。腹が立っているのだろうか。でも、何に? それとも、もっと違う気持ちなのだろうか。

 まとまらない考えに、思いつくまま、言葉になるものから滑り出させる。



「―――じゃあ、お前んとこへの、定期券?」

「何だ、それは」

「だから、お前がいるとこへの」



 それが、どこだったとしても。炎山のいるところへなら、どこへでも連れていってくれるような、そんな。


 ああ、それがあったら、きっとものすごく便利だろうと、熱斗は思った。彼がどこへ行こうとも、直通で行けるのなら。

 いないことにがっかりすることもなく、会いたいときに、ただ会える。本当にそんなものがあればいいのに。



「何だ、それは……」



 く、と炎山が笑う気配がした。



「何だよ」

「本当に、お前はくだらないことばかり考え付くんだな」

「くだらないって何だよ、くだらないって!」

「あのな、光」



 ひょい、とパソコンの向こうから出てきた顔が、珍しくこらえきれない笑みに歪んでいる。

 楽しそうに、なおも咽喉の奥に声を転がしながら、彼は言った。



「だったら、ひと言入れればいいだろう。どこにいる、とか、行ってもいいか、とかな。特に後者は是非ともお願いしたいものだ」

「……それって」

「何のためにPETがあると思っているんだ」



 それは、つまり。



「……へへ」

「気味の悪い笑い方をするな」

「だってさ~」

「邪魔をするなら即、叩き出すがな」

「してないじゃん」

「―――言ってろ」



 下腹が、むずむずする。でも、今度は分かった。これは、きっと、嬉しいんだ。


 定期券なんかなくていいということ。


 代わりに、彼に直通の、そう、合言葉のような。


 繋げば、問えば、応えてくれる。つまり、そういうこと?



「じゃ、明日も来るから。お前、いるよな?」

「……お前の辞書に、遠慮という言葉はないのか」

「そんなムズカシー漢字、俺にわかるわけないじゃん」

「担任の教師が真剣に可哀想になってきたな」

「何だよ、いいじゃん。友達んとこ行くだけだし」

「まったく……好きにしろ」

「おおっ!」



 ほら。やっぱり。結局。

 嫌そうな顔をしていたって、本当じゃ、ないのだ。言葉で言うことはないけれど、最後には、炎山は熱斗のことを認めてくれる。

 口で何と言っていたって、彼が熱斗を追い出すことなんて、ありえないに違いない。


 それでも、たまにはそう、言って欲しいものだと思う。いくら何でも、別に彼の不機嫌な顔を見るためだけに、メトロに乗ってここまで来ているわけではないのだから。

作品名:a code to pass 作家名:物体もじ。