命日
石畳を歩く度に響く靴音。いつもは蒸し暑い日差しも、流石にこの時間では和らいでいる。
けれども涼しというわけではない。日差しはなりを潜めたが、それでもまとわり付く湿気は昼間と変わらない。
そんな夕暮れに喪服をしっかりと着込んだ男が、
真っ白な鉄砲百合の花を持ってなだらかな石畳を歩いてきた。
ミンミン蝉に変わりヒグラシが鳴き始め、きっと昼間の境内とは違う雰囲気を出しているのだろう。
男はとある墓の前に立つと、ふっと笑みを零した。
「やっぱりみんな着てたんだねー。そりゃぁそうか」
男は色とりどりの花や、食べ物がお供えされている所にそっと百合の花束を置く。
そしてスーツが汚れることを厭うことなく片膝を付くと、線香に火を付け始めた。
あたりに漂う線香独特の香りに目を細めながら、男は線香をさして目を閉じると墓の前で手を合わせる。
しばらくして、男はその瞳を開けた。目の前の墓をとても慈しむように見つめながら。
「まったくさー酷いんだよみんな。俺が薄情とか言って。俺が君を忘れてるーとか言ってさ。
シズちゃんなんか、昨日もそれで俺を追い回してきて、ほんっと体力バカってこれだから嫌だよー」
まるで目の前に誰かがいるように、男は話し出した。
「俺が君を忘れた事なんてないのにねー。だって、君が言ったんだもの。
いつも飄々として余裕ぶって仕事をしている、そんな俺が好きだって」
君が言ったんだもの、と男は再度呟いた。
男は唇をわなわなとふるわせると、急に顔を俯かせた。
肩が震え、何かを耐えるかのように拳を膝の上でぎゅっと握る。
「ねぇ、帝人くん・・・帝人くんは・・・俺といて・・・幸せだったっ・・・・?」
歪む視界。こみ上げてくる頭痛と吐き気に似た衝動。目頭が熱く、喉が焼け付くように痛い。
地面に水滴が落ち、吸い込まれ染みを作る。その染みがだんだんと広がり、色を深くしていった。
男は歯を食いしばって、声を殺しながら泣いた。
泣くことなど、人生で無かった男にとって素直に泣くことなどできなかった。
それでも、後から後から溢れてくる感情のままに、男は涙を流している。
「帝人くんっ・・・」
吐息のような、泣き声のような呟き。
その時、この時期にはあり得ない冷たい風が臨也の頬を撫でたと思った瞬間、臨也は自分の耳を疑った。
けれど、心のどこかではその声を歓喜し、信じている自分も確かにあった。
臨也は驚きを隠せぬまま、勢いよく後ろを振り向く。
驚愕の表情は、次の瞬間、泣き出しそうな笑みに代わり、
口からは無意識のうちに、相手の名前がこぼれていた。
「帝人くん・・・っ」
目の前には、会ったばかりの高校生の時の帝人が微笑みながら立っていた。
『臨也さん・・・』
臨也は口を一文字にすると、震える脚を叱咤しながら立ち上がり、ゆっくりと目の前で微笑む帝人に手を伸ばす。
帝人も臨也に手を伸ばし、その手が触れそうになった時、一陣の風が吹き荒れる。
突然の突風に、臨也は脊髄反射で顔を両手で覆った。
風がやみ、臨也は急いで腕を外したが、もう目の前には帝人の姿はどこにもない。
止まっていた涙がまた溢れそうになる。
臨也が、瞳を閉じ顔を俯かせようとすると、また先ほどの冷たい風が吹いた。
その時、確かに臨也の耳には己を呼ぶ帝人の声が聞こえた。
臨也ははっとして顔を上げると、夕暮れの空に自分が持ってきた百合の花弁が数枚、空高く舞っている。
「帝人くん・・・」
『泣かないでくださいね』
死んだ人間が何かを言うことなどあり得ないし、姿を持って現れるはずなんてないと分かっている。
それでも、臨也の耳には帝人の声が、目には帝人の姿が見えたのだ。
臨也ははっ、と笑うと、いつもの人を小馬鹿にする笑みを浮かべる。
「俺は無敵で素敵な情報屋だよ?誰が泣くっていうのさっ!」
臨也は空に向かってそう言うと、墓に顔を向けて凪いだ笑みを浮かべた。
「君に心配かけるなんて俺もまだまだだねー。じゃ、またくるよ。帝人くん」
ひらひらと手を振ると、臨也は墓を顧みることなくその場から立ち去ってしまう。
その臨也の姿を墓標に座りながら、苦笑する青年が1人。
『全く・・・いくつになっても世話が焼けます』
青年は短い黒髪を揺らすと、ふっと姿を消した。