にせものの戀
じゃらり。身じろぎすると静寂の中に金属音だけが響いた。片足にまとわりついた枷から伸びる鎖の先は暗闇に呑まれて見えない。さほど長いわけでもないだろうけど、そもそもこの部屋自体が広くないのでたいして不自由ではない。…まあ、この状況で不自由ないという表現はおかしいかもしれないが。
重い体を引き摺って壁に寄り掛かると、狭い部屋が一望できた。灯りの点いていない部屋では窓から差し込む月の光だけが唯一の光源となって全体を照らしている。俺がまだここに来る前、客人としてこの部屋に上がった時は、もう少し明るく感じたけれど、今はその名残もない。夜だからという理由だけじゃないだろう。
「…臨也さん?いますか?」
「おかえり、帝人くん」
すこし慌てたように鍵を開ける音に続いてドアが開き、家主が帰ってきた。靴を脱ぎ捨てて部屋にあがってきた帝人くんは、まっすぐに俺のところへやってきてしゃがみ込み、確かめるように手を握る。俺は安心させるようにそれを握り返す。また枷の音が響いた。
「よかった、臨也さんだ」
「…いつも言ってるでしょ?君を置いてどこにも行かないよ」
この状態では行きようがない、というのが本当のところだけど、敢えて彼が望む言葉を送る。帝人くんはほっとしたように肩を撫で下ろし、しばらくそこに座り込んでいる。俺は重い手を持ち上げ、枷が彼に当たらないようにゆっくりと頭を撫でてやる。彼が学校から帰ってきてからの、これが日課になっていた。
帝人くんにこうしてここで監禁されるようになってもうずいぶん経つ。片手片足に枷をつけた状態で、俺は一日のすべてをここで過ごす。時間の感覚はもうない。世間では俺は死んだと思われてるのかもしれない。それでも構わずここにいて、この子供に縛られ続ける。
「それにしても、今日は遅かったね。どうかした?」
そういえば珍しく日がとっぷり暮れてから帰ってきたなと何気なく尋ねてみるとピタリと彼の動きが止まった。そして、後ろに置いていたカバンの傍から小さな箱を取り上げると俺の前に置く。
「…臨也さん、今日何の日かわかります?」
「いや、全然」
ずっとここに縫いとめられている俺にはもはや時間の概念がない。即答すると帝人くんはちょっと自嘲気味に「そうですよね」と呟いてから箱を開けた。小さなショートケーキが二つ鎮座していた。
「お誕生日、おめでとうございます」
あまりに予想外で、言葉がでなかった。実はこれは今置かれている状況とかはあまり関係なくて、元々俺は自分の誕生日に執着しないし、ここに来る前だってそれは同じだった。時間の概念があった頃も、なくなった今も、俺一人にとってはどうでもいいことだったんだ。こうして人に祝われるのなんて、何年ぶりだろう。帝人くんは言葉に反して申し訳なさそうにそっと俯いた。
「…ごめんなさい、わかってるんです。祝ったりするような状況じゃないって。臨也さんにこんな監禁みたいな真似してる時点で異常だって。臨也さんを独占したい気持ちがあったって、行動に移そうなんて前は思わなかった。僕、どんどんおかしくなっていくみたいで」
「帝人くん、大丈夫、大丈夫だから」
肩を震わせながら頭を抱える彼を片手で引き寄せて抱きしめた。あやすように背を軽く叩いて落ち着かせる。そうだ、これは帝人くんが気にするようなことじゃないんだ、本当は。
本当は、俺自身が望んだんだ。彼を独占することを、彼に独占されることを、彼が壊れてしまうくらい俺を欲することを。俺がそう仕向けた。
「君が気に病むことじゃない。俺が君に囚われることを望んだんだ」
「臨也さん、でもこんなの本当は」
「いいんだ。俺はこれで、十分幸せだよ」
破綻してる。好きな人を壊して、俺自身もとっくに壊れていて、それでも世界に二人でいることが愛だなんて狂気の沙汰だ。
それでも俺は選んだんだ。世界を捨てて、彼だけを。
「こんなの本当は、間違ってるのに…」
消え入りそうな彼の声を塞いだ。世界はまた静寂に包まれて、彼の呼吸以外の音をかき消す。余計なことを考える暇も与えないように、その華奢な体を組み敷いた。
「誕生日だから、許してもらおう」
神様に。そうわざと茶化すように言ったら、彼はすこし驚いたように俺を見て、それから泣き笑いみたいに笑った。それでどれだけ俺がほっとしてるかなんてこと、君は知らないだろうな。
本当は一人になりたくないのも、君を手放したくないのも俺の方で、それでも俺は狡いから、君を唆して壊してしまう。俺を監禁させて罪悪感に苛む君を慰めることで、俺は君を独占できる。俺のことだけを考えて、俺にだけ傷つけられる。どんなに傲慢で罪深くとも、そうして帝人くんを手に入れられるなら俺は迷わない。
不幸にしてしまうのかもしれない。それでも手放せない自分を知っている。
これからもきっと君は俺に対する罪悪感に何度も涙を流すんだろう。俺はそんな君自身の枷であり続ける。たぶん、一生。
顔を埋めた肩越しに、昔良く見た彼の屈託の無い笑顔が見えた気がした。出会った頃の日常は遠く、色あせて霞んでいく。
もう永久に見ることのできないそれを瞼の裏に焼きつけ、そっと目を閉じた。