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灯の沈む海

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夕焼けを見上げて
歌を歌う

忘れてしまったと思ったけれど
口を開けば流れるように
紡がれる
空を舞う戦鳥の唄

目を閉じればすぐに浮かぶ
笑顔で別れた
あの日の記憶



甲板に投げ出した足。風に乗って、潮が皮膚を撫でていく。
無遠慮に訪れた夕焼けが、赤く空を染めていた。
それを見上げて、思う。
昔誰かに聞いた。桜の花びらが薄紅色なのは、人の生き血を吸っているからなのだと。
それならばこの空は、一体何人の血を吸ってきたのだろうか。

眼前の海に点々と浮かぶのは、撃ち棄てられた仲間と。自分だったモノの残骸だ。今は静かだけど、ほんの一刻前までここは戦場だった。

背後から鳥が舞う。自分を無視して通り過ぎていく。
彼らのごちそうは、今日は浮かんでいるのだろうか?
鳥が旋回する。どうやら獲物は見つからなかったらしい。
気を落とさなくてもいいよ。明日も明後日もこんなものだから。
空の向こうに消えていく鳥達に、心の中でそっと呟いた。

「今日もなんとか生き残ったな」
身体中でら痛ぇけど。
そう言うと、九九は自分の横に座り込んだ。
彼の足からは血が流れていた。目で追ったけれど、正直それをどうこうするつもりはなかった。昔の自分なら、心配のあまり、ひとつひとつ口喧しく世話を焼いたのだろう。
いつの間にか、すっかり慣れてしまった。
いつの間にか、きっと自分は変わってしまった。

「突っ込んだの?」

「今日は二機。マシなほうじゃね?正直、勝てる気なんてしねぇしな」

皮肉に皮肉で返された。二人で顔を見合わせて笑う。人間のいない所では、建前を捨てて本音で喋った。最も艦上だから、空母には聞かれているかもしれない。構うものか。皆、腹の底では同じ事を思っている。

もうすぐ最期る。
戦争が終わるのが先か。国が終わるのが先か。それは分からないけれど、この国にはもう戦争を維持できるだけの力がなかった。
それは、自分の身体を見れば分かる。

「それでも、お偉様は負けを認めないんだろうね」

まともな部品、入ってこなくなっちゃったのに。
苦笑する。
同じ兵器なのに。どうも昔から、自分達航空機は他の兵器より人間味が薄かった。
戦艦ほど、多くの人を見守るわけでもない。戦車ほど、人の死を見つめるわけでもない。
撃たれて墜ちたらサヨウナラ。
愛機だと言われても、墜落すれば次の人間の機に変わる。
それをずっと繰り返してきた。
搭乗する人間との付き合いが短すぎて、触れ合う世界が狭すぎて。人を愛するということも、大事だと想うこともよく分からなくて。
たったひとつの命に、現実感がなかった。

手のひらを軽く握る。ずっと違和感があった。もう航空機にすら、粗悪な部品しか調達できなくなっていたのだ。
国民から全てを吸い上げても、結局はこのザマだ。
それなのに、米国は次々に改良型を出してくる。過去の栄光。制空権は、すでに我が国にはなかった。
それに追い打ちをかけるように、自分達兵器の製造工場が狙われた。民間人には手を出さない。そんな軍事協定など、戦略の前では悲しいほど無力だった。
実力以下しか出せない状況で、正攻法で迎え撃つなど、とうてい無理な話だろう。

「……実際飛ぶのは俺らだっつーの」

不利な戦局。兵力。機動力。八方塞がり。
それでもここで食い止めなければ、愛する者に火の粉が舞う。
追い詰められて決断を迫られて。
そして今日も、特攻の桜が散っていった。

「…こんなのが日常化されたら、いつか僕らも死んじゃうね」

「…かもな」

この国を動かしているのは、すでに戦略ではない。感情論だ。
軍部の見栄と自尊心。
それに振り回されて、いくつもの無謀が繰り返された。
それを死命と思って、いくつもの命が散っていった。
人の命より砲弾のほうが大事だなんて、本気で言っているのだから、笑うしかない。
自分達を境目に。人の命は、使い捨てと死守すべきものの、二種類に分けられてしまった。
人の命は、平等なんかじゃない。

「…今まで何回撃墜されても、量産されてるうちは死んだりしなかったからさ」
戦艦や空母の皆とは違って。

持て囃されて温存されて、戦争から遠ざけられた綺麗な手で。
死ねと言われて戦地に赴いた。彼の背中が、脳裏に浮かぶ。

戦艦。その言葉に、九九が眉を潜めたのは、気付いたけれど知らないふりをした。

「搭乗してる人間が死んだって、悲しいとか。なんかあんまりよく分からなくて。それどころか、戦争が続けばいいって思ってたんだよね」

甲板を指でなぞる。
今の自分よりも、ずっといい鋼材だった。

「必要とされて、量産されるうちは。何度痛い思いをしたって、僕はまた…隼に会えるかもしれない…」

隼と一緒に、空の向こうを見に行く。
海と陸に別れた、その夜に約束した。自分に言い聞かせた。その希望だけでやってきた。
人も兵器も同じだ。少なくとも、戦う理由がなければ僕は飛べない。こんな空には飛びたくない。
でももう、だめかもしれない。

「死ぬかもしれない。ってことが、こんなに怖いことだなんて思わなかった…」

「………」

お國の為に。
人は、建前ではそう言うけれど。本当は、皆故郷に残してきた愛しい人を守るために往く。
けれど、僕らにはそんなものはない。皆等しく兵器だから。残してはこれないから。
皆同じく往ってしまうから、また再会を誓い合った。
再会できると思っていたんだ。
笑い合えたあの頃は。もう、気が遠くなるほど昔のような気がする。

あれから、
皆往ってしまった。


「明日、また会えるとい…」

明日、また会えるといいね。
振り返って。笑ってそう言おうとしたら、衝撃。額を爪で弾かれた。
痛いよ!と喚いたら、九九は威圧を込めた目で自分を見下ろしていた。

「馬鹿。俺は、アイツの仇取るまでは死なねぇ」

「………」

額を押さえて、見上げる。
なんだか、九九の顔をちゃんと見るのは久しぶりな気がした。

「諦めんなよ。お前ら、どっちもまだ生きてんだろ」

再び座り込んだ九九の横顔は、記憶よりずっと大人びていて驚いた。
自分の記憶は、いつから止まっていたのだろうか。
自分は、いつから目を背けていたのだろうか。


「…そう、だね」


目を細めて見上げた空。
沈みかけた太陽が、海面で最後の火を燃やしていた。
まるで自分達を暗示しているかのようなこの景色が、美しく見えるからタチが悪いんだ。

軍人らしく、美しく死ぬことが本望だ。
人は皆そう言って飛んだけど、死ぬ瞬間は誰も軍人なんかじゃない。美しい死なんて絶対にない。
それは、見送った自分が一番よく知っている。


もはや特攻作戦は避けられない。
自分達が諦めないということは、飛ぶということは、これからもたくさんの人間が死ぬということだ。
残念ながら、自分達の感情が軍部を動かすことはないし。自分が死んでも、他の機に乗るだけで命が散るのも変わらない。
それでも、悲しい。
武力はあっても、自分達は途方も無く無力だ。
それが、悲しい。
今になって、人を想うということを知った。もっと早く知りたかった。僕は彼らの最期を、無感情に見送ってしまったから。


「…じゃあ、また明日。ここでね」

「…おう」

作品名:灯の沈む海 作家名:呉葉