バッドタイミングカウンター
凌統は別段急ぐ様子もなく、父の墓へと向かった。
供える花も、お供え物も持たず、墓参りだというのにその身一つ。
だが、それなりの、凌統なりの理由があった。
―――――――父の敵である甘寧の首を取る。
それを無事に果たすまで、花を供えることは出来ぬのだ。
いわば、甘寧の首こそが花であり供物である。
墓の前に跪き、両手を合わせた。
今宵、甘寧の首を取る。
その決意を、父の墓に報告に来たのだ。
夜、呉の将である呂蒙の屋敷で宴が開かれることとなっている。
その宴には有力な、主立った武将は皆呼ばれる。
勿論凌統も呼ばれていたし、甘寧も声を掛けられていると言うことがわかっていた。
普段はヌンチャクを使用する凌統だが、今日は珍しく、剣を帯刀していた。
豪奢な飾りの付いた剣だが、すらりと鞘から抜けば、美しく研ぎ澄まされた刀身が姿を現す。
実に無駄のない動きで剣を一振りする。
ずしん、と音を立てて凌統の傍の木が倒れた。
( 機は、熟した。 )
静かに目を閉じ、甘寧の首が胴から離れる瞬間を想像する。
想像しただけで、嬉しさに体が震えた。
父の敵を討つ、というただひとつの悲願がようやく達成されようとしているのだ。
夜になり、呂蒙の屋敷にひとりふたりと人が集まり始めた。
皆それぞれに酒を仰ぎ、話題は戦のことや女のこと、怪我の具合など様々だ。
凌統も和から乱れぬように適当に相槌を打ちながら盃を呷った。
呑んでるか、と呂蒙が肩を叩く。それに曖昧に返事を返すと呂蒙は訝しむような面持ちで問うてきた。
「どうした、凌統。上の空だな?」
「…いや、別にそんなことないけどね、」
射抜くような視線を甘寧に向けたまま答える。
楽しげに談笑する姿がやけに凌統の神経を逆撫でた。
自分らしくないのは承知だが、必要以上に苛立つ。
それから二刻ほど経てば誰もが酔いどれて、宴も盛り上がっていた。
甘寧が充分に酔っていることを目の端で確認し、凌統は今が期だと思い、立ち上がる。
腰に帯刀していた剣を掴み、一振り、そして構える。
一度静かに目を閉じて、大きく深呼吸をすると妖しく笑んだ。
「宴を盛り上げるために一つ、この凌公積、剣を遣って舞いましょう。」
あたかも自分も酔っているように戯けて見せつつ、凌統は舞うようにさり気なく甘寧の近くを陣取った。
いいぞ、と囃し立てる将たちの手拍子に合わせ、観るものを魅了する鮮やかなステップを見せる。
剣は宙を舞い、まるで凌統の一部のように動いていた。
シャン、シャン、と剣の柄に付いた鈴が鳴る。
その音が、「鈴の甘寧」と呼ばれた奴の異名を彷彿とさせて凌統の神経を尖らせた。
今は舞うことだけに集中しようと自分を戒めて、笑顔を作る。
剣舞を教わったのは幾年も前だが、ときどき、思い出しては踊った。
体が自然に動く。辺りは騒がしいはずなのに、何故か喧噪が気にならず、空気は澄んでいた。
不思議なほどに神経は澄んでいて、周りの様子がよくわかる。
ぎらり。
切れ長の瞳を光らせる。凌統は一瞬の隙も見逃さなかった。
甘寧の視線が離れた一瞬を狙い、剣を突きつけ、あわやと言うところまでいったが殺気を読んだ甘寧の剣が凌統の剣を阻んでいた。
「チッ!」
思わず舌打ちをし、仕込み刀で今度こそ甘寧の首を狙って剣を突き刺す。
ガキン、と音がして先を見遣ればいつの間に手に取ったのやら、呂蒙の槍が二人の間を割っていた。
「――――ッ、旦那、」
「…凌統、落ち着かんか。まったく、お前という奴は!」
「煩せえッ!!!」
ガキン、と壁が抉れる音がする。
剣を、顔のすぐ横の壁へと突き刺した。
甘寧は瞬き一つせずに、別段驚いた様子を見せることもなかった。そして微動だにすることもない。
辺りに聞こえるのは凌統の荒い息遣いだけである。その甘寧の態度が、凌統の怒りを更に募らせた。
「……アンタが憎い、」
ポツリ、とようやく吐き出される言葉はそれだけだった。
「戦だったんだ、今更がたがた言っても仕方がねェだろう。」
「――――――俺が、家督を継いだ時は、15、だった。」
声が、唇が、怒りで戦慄いていた。
「親兄弟を守ることに必死だった、……アンタみたいに、」
そこで言葉は一旦途切れ、先程までの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「お気楽に流れてきた水賊風情のアンタとは、違うんだよ!」
憎しみを、有りっ丈の憎悪をブチまけて、凌統は足早に去る。
水を打ったように静まった室内の静寂を破ったのは呂蒙の手を叩く音だった。
パンパン、と2度手を打ち、その場を取りなすように笑顔を見せた。
「各々方、お騒がせした。凌統には私からきつく言っておこう。さあ飲み直そうではないか。」
そう言うと甘寧の盃に酒を注いだ。
注がれた酒をぐい、と飲み干して、甘寧はニィ、と不適に笑んだ。
そして、再び宴席は賑わい始め、呂蒙は溜息を吐いた。
「なかなか良い演出だったな、呂蒙のおっさん。」
「……まったく、お前も、凌統の奴も、仕様のない奴だ。」
「それだけアイツも、――――俺も、若いんだろうさ。」
甘寧は味わうようにゆっくりとした動作で盃に口を付けた。
ひっそりと瞳を閉じて、酒を口に含む。そうして凌統を思った。
馬鹿な奴だ、と心の中で呟き、口元で笑みを作る。
( また俺を殺せなくて、残念だったな、なぁ、凌統―――? )
憎まれ口を心の中で囁くと、甘寧の背中をぞくりと快感が駆け抜けた。
誰も歪んだ愛情に気付かずに、いつしか宴もたけなわ、終わりを告げようとしていた。
ふと外を見遣れば雨がしとしとと降り始めていた。
( ―――きっと、この雨は凌統の心も体も冷やすのだろう。 )
甘寧はそんなことをぼんやりと考えていた。
作品名:バッドタイミングカウンター 作家名:Ritsu