ちゅー
着いたマンションのエレベーターのボタンを押すと、私の行きたい4階なんて通り過ぎて6階で止まってる。早く来て、と心の中で念じながら無意味なのもわかってるけど何度もボタンを押してしまう。
チン、と音がして顔を上げると、知らないおばさんが乗ってて、そのまままた扉が閉まった。(地下にも駐車場があるなんて贅沢なマンションよね、)
再びエレベーターが来るとさっと飛び乗って4階のボタンを押す。
申し訳程度に取り付けられた鏡に自分の姿が映る。ぼさぼさ髪の毛なのを精いっぱい撫でつけて、ちょっと曲がったリボンを直す。プリーツスカートのひだを綺麗にしたら4階で扉が開いた。私はここからもちょっと走りながら一番奥の自室を目指した。鞄から鍵を取り出して、すうと一呼吸してからそれを差し込む。
回そうとしたら、先に鍵が開いた。
フライ返しを持ったルカが、ちょっと不思議そうに私を覗き込む。
「美奈子ちゃん……?」
「え、あ、」
いきなりの事にしどろもどろになる私に、ルカは何も言わず笑顔を向ける。
「おかえりなさい!」
ルカの笑顔は私の緊張を一気にときほぐす。そもそも自室に帰ってくるのに緊張している方が可笑しいのだ。ルカに合い鍵を渡してから、どうもそわそわする。
(好きな人が、待っていてくれるのが、)(こんなにも照れくさいことだなんて)
「美奈子ちゃん、んーっ」
私が玄関に入ると、目を閉じてルカが唇を突き出した。
たこさんの物まねみたいで私は思わず笑ってしまう。
「なあに、ルカ?」
「ただいまの、ちゅー」
ルカの声って不思議で、どんなにくだらないことでも、その声で囁かれるとドキドキしてしまうのだ。私は顔を真っ赤にして持っていた鞄で顔を隠した。
「恥ずかしいからやだっ!」
ルカがその鞄をそっと奪ってしまう。そうしてちょっと子供っぽく拗ねて見せると、持っていたフライ返しをこちらにむけて抗議する。
「じゃあ美奈子ちゃんはいつならしてくれるのさー?」
もう隠すものが何もない私は、スカートの端を掴んで、俯いた。
「ご、ご飯食べたあととかなら……」
あまりの羞恥心に多分最後までうまく言えなかった。
ルカはそんな私に微笑んで、「今夜はハンバーグ作ったよ」と言う。
「初めてだけど、まあなんとか形になったと思うんだ」
「私、ルカの作るご飯好きだよ? とっても楽しみ!」
ルカがふと私の顔をまじまじと覗き込む。
「俺は美奈子ちゃんとのちゅーの方が楽しみだから、残さず早く食べてね?」
その綺麗な瞳で、一寸の曇りもなくそう言う事を言っちゃう人なのだ、ルカは。
私はそんな彼が少しだけ誇らしくて、そして照れくさくて。
「はい」
小さく頷いた後、ようやくヒールを脱いだ。