ティル・ナ・ノグ
opening
?リア・ファル、クラウ・ソラス、ブリューナク、ダグザの大釜?
昔話の、妖精の四つの宝物を教えられたのはもう随分と昔。そして教えてくれたのは、きっと、初恋の人。
午後の明るい静寂、夏の光はそれだけでまるで力をもつように、温かい腕で人をまどろみへと誘う。けして強引ではないけれど、それは抗い難い力をもっている。光線の先に白く浮遊する空気中の塵。それはまるで透きとおる羽を持つ妖精のようだ――、そう考えてしまうのも昔の出来事が多分に影響していた。
彼はさっぱり頭に入ってこない書類から顔を上げ、ぐるりと椅子を回し、首も捻って窓の外の青い空を見上げる。目を奪うほどの一面の蒼は濃く、圧倒的な存在感で、しかしただ静かにそこに広がっている。その合間に浮かぶ白い雲は一切の穢れをもたず、無垢という言葉を連想させた。そして連想の先にあるのはたったひとりの人物。
彼は黒い目を瞬かせる。青い上着は脱いで椅子にかけ、上は白いシャツ一枚。彼が身に付けていたのはその国では軍人が身に付けるもの。同じ青でも随分と違う、そんな風に皮肉に思えるほどに彼は若くもなければ感傷的でもなかったが、それでも、夏空は自身もまた少年だった日を思い出させてならない。
「君はダグザの大釜が一番ほしいといったっけ」
不意に目を細め、彼は小さく囁いた。頬杖をついて、懐かしそうに。
運命の石、光の剣、魔法の槍、そして食べても食べても尽きる事のない大釜、それなら釜が一番役に立つ、そう言い切った少女の面影はずっと褪せることなく彼の中にある。彼女がその頃探していたのは、妖精の宝とはまた別の特別な石だったのだけれど。
しばし懐かしい思い出に浸っていた彼の耳に、不躾な電話の音。だが回想を邪魔されても彼は苛立ちを覚えることはなかった。それどころかむしろ、やっと来た、と何か予感めいたものさえ抱いて受話器を静かにとったのだ。
「マスタングだ。どうした」
呼びかけに名を以って示せば、相手は落ち着きを欠いた様子で事態を告げた。ああ、とマスタング、大佐の地位を戴く男は内心で万感をこめて息を吐く。
とうとう来た。
時期を考えればそろそろなのではないか、それとも起こらないのではないか、そう考えたこともある。待っていていいものかと焦ったこともあった。だがやはり来たのだ、この日が。
『それが、村一個分人が消えて…殺害された様子も争った痕跡もない、こんなこと考えられません、人間の仕業じゃありませんよ…!』
マスタング大佐――ロイは微かに笑った。
「では何の仕業だと? 近頃流行の妖精か?」
『い、いやそれは…』
「しっかりしろ」
ロイは声のトーンを落とし、鋭く諭した。
「人間の敵はいつでも人間だ。そして同じ人間なら勝つ手段はある。そうだろう」
『…は、はいっ』
感服したような調子で相手は通話を終えた。ロイは前髪をかきあげながらゆっくりと息を吐き、そして立ち上がると、上着をしっかりときなおして身なりを整え、自信に溢れる顔で部屋を出る。
その年の夏、アメストリス中が妖精事件に巻き込まれていた。