空も飛べるはず
その日の空はとてもとても青くて遠くて
手を伸ばしたって翼を手に入れたって
決してどうにもならないものに見えて
全てを投げ出すにはもってこいだと思った
排気ガスと塵ですっかり汚れた廃ビルの屋上
背中を預ける度勘に障る声で鳴く回転椅子に座って
たかが少年の僕が投げ出したものは
音符も言葉も何も書かれていない
五線譜だけが置き去りにされた紙の群れ
ここから見る空の色のむなしさを
誰か知っていたんだろうか
自殺志願者へのけん制のように
屋上を囲む柵は僕の背丈よりずっと高い
はい
正直に答えると赤い髪の彼はくつくつと笑った
自殺志願者を我に帰らせるるための高い高い柵の上
悠々と足を組んで座って鼻歌を歌っている
何処かで聞いたことあるような鼻歌を歌っている
いつの間にやらそこにいた彼は
いつかからずっとそこに座ったまま
気ままに歌を歌ってみたりしている
この人はきっと何かを投げ出した人なんだ
そんなことをふと思ってみるけど
思うだけで言いはしない
何だいそれは
ただの紙飛行機です
足元に散らばった紙を一枚拾い上げ
紙飛行機を一機折ってぽいと投げてみる
僕に訊いたって無駄なことを察しているんだろう
彼はしげしげと僕の手元を眺め続け
僕が三機目を墜落させた後おもむろに柵を降り
歌いながら一枚紙を拾って僕の真似を始めた
右翼が異様に大きいその飛行機は
妙に機嫌の良い彼の手から勢い良く放たれて
ぐにゃりとカーブして僕の足元に落ちた
フライトは大失敗だったのに彼はまだご機嫌らしく
声を上げて笑った
ああやっぱり駄目だった
もっときちんと折らないと駄目ですよ
いいや私にはきちんと折れないし折っても飛ばないさ
ああ残念だ勿体無い結構気に入っていたのにな
残念とか駄目とか言う割に彼は頗るご機嫌で
だから僕は彼に紙飛行機の折り方を
教えましょうかと言い出すタイミングを失ってしまった
そして、席を立つ様に彼は柵の向こうに身を投げた
カラスが羽ばたく瞬間のように
ぶわりと一瞬マントが広がって
僕の視界を黒く染めた
走っても間に合わないこと位分かってたし
別に彼の死体が見たかったわけでもないけど
反射的に僕は柵まで駆け寄っていた
遠い遠いアスファルトの地面には何も無かった
秋の名残がまだ残る風が吹く
紙の束と飛行機がカサカサと揺れた
僕は彼の折った不恰好な飛行機を一機拾い上げ
羽に書かれた旋律を目に留めて
それを丁寧に破って空に放った
ルララ ルララ ルララ ルラ
困ったことにたかが少年の僕は
あんな飛行機なんて無くてもあの歌を
(そう、僕しか知るはずのない出来損ないの僕の歌を!)
到底忘れられるはずは無く
ルララ ルララ ルララ ルラ
その日の空はとてもとても青くて遠くて
全てを放り投げてみた所で見つめることをやめずにはいられなくて
結局とどのつまりは何も捨てられなかった!