愛100グラムいかがですか
「そんなこと言わないで下さいよ……何か食べないと駄目なんですから」
「だって美味しくないもん」
もんてなんだ、もんて。いい歳した大人のくせに、恥ずかしくないんだろうかこの人は。演技でも何でもなく、素だと分かっているだけに恐ろしい。というか、聞いている此方が恥ずかしい。
「確かに料理は上手い方じゃありませんけどね。お粥なんて作り慣れてもいませんし」
実家では作って貰う立場だったし、今体調を崩したらコンビニに行くことを選ぶだろう。わざわざ自分の為にそこまでの努力は出来ない。
けれどこうして今日、レシピ本片手に頑張ったのは、大切な人が寝込んでいると聞いたからだ。そしてそれが事実だったからだ。
「……林檎でも剥きましょうか? 苺もありますよ」
「そうじゃないよ、帝人君の馬鹿」
「何なんですかもう。これ以上駄々をこねるなら帰りますからね」
日課の予習復習に取り掛かっていた時に、充電中の携帯が鳴った。ディスプレイに映った名前は臨也だったのに、聞こえた声は波江のもので。一瞬体を強ばらせた帝人にはお構いなしに、馬鹿は風邪をひかないのはどうやら迷信だったみたいだからとっとと来なさい、とだけ告げて電話は切れた。帝人はもしもししか口にしなかったように思う。糸電話でもないのに。
それでも用件が――電話の裏で何が起こっているのかが分かってしまって、帝人はこうしてわざわざ新宿まで来たのだった。時間が時間だったので、手土産は無しだったけれど。そしてそれで問題は無かったのだけれど。
帝人が到着してみると波江の姿は無く、その代わりに食材や薬が用意されており、寝室にはフル装備の臨也が横になっていた。冷えピタにアイスノンに氷嚢なんて、この部屋に常備されていたとはとても思えないが。
臨也は軽口を叩く元気も無いようだったので、帝人はせめてもと慣れないお粥作りに取り組んだというのに。
もういいですよ、と立ち上がりかけた帝人の手を、引き止めるものがあった。その酷く熱い手は、臨也のものだ。
「……何ですか、臨也さん」
「帝人君の、馬鹿」
「だから……」
「熱で舌が馬鹿になってるんだよ! 味なんか何食べても分かんないの!!」
どうして逆ギレされないといけないのだろう。彼との付き合いはそれなりになるが、未だにこうした理不尽な扱いには慣れないでいる。風邪をひいたのは自分の所為ではない筈だ。
「だから別に、帝人君のお粥を食べたくないわけじゃないんだよ……っ」
体調不良の所為か、精神的なものかは分からないが、涙目でそう訴えかけられると簡単に無碍には出来ない。多分、本当のことなのだと分かるからこそ尚更。
「折角帝人君が俺の為に作ってくれたのに、食べたくないわけないじゃないか」
「なら食べて下さいよ」
「だって今、どれ食べても美味しくないんだよ……」
この際アイスやゼリーでも良いんじゃないかと思った。胃に入れば。けれどわざわざ冷蔵庫の中身をチェックしに行くのは億劫だったし、目当てのものが無かった場合はそれらを買いに夜中の新宿に出るか、此処でまた臨也と先程の遣り取りを繰り返すかのどちらかだ。どちらもとても面倒だった。
第一、可哀想ではないか。食材も、それを作った自分も。食べる以外の選択肢は捨てるしかないのだから。
「臨也さん」
帝人は、徐に匙を上げた。お粥は最早、息を吹きかけて冷ます必要など無い程に落ち着いている。
「愛、欲しくありませんか。僕からの」
ラブですよ、ラブ。そう付け加えてやれば、熱にいい感じに体力を奪われている臨也は簡単に興味を示した。ソワソワと視線が定まらなくなる。
それも当然と言えば当然だろう。帝人の愛情表現は、波江の満面の笑みと同じくらいの希少価値だ。
人間観察が好きだと抜かすくせに、臨也は帝人の心を汲み取るのか不得意だ。帝人から好きだと言ってやらなければ、きっと一生両想いだということに気付きもせず、延々と恋愛相談という名の惚気を周囲に撒き散らしていたに違いない。それが非常に迷惑だったからこそ、帝人は自分から告白――なんて行動を起こしたのだから。
最初にこれだけ譲歩したので、付き合い始めてから帝人は滅多に甘い言葉を言わなくなった。会えて嬉しいですとか、今日も格好良いですねとか、大好きですよ――とか。
そんな自分の態度に臨也が不安を覚えたり不満を抱いていることに帝人は薄々気付いていたが、だからと言ってその要望にわざわざ応えてやる程大人ではなかった。余裕にだって限度がある。
けれどきっと、子供がそのまま大人になったような、中二病を拗らせてしまったようなこの人は、そのことに気付くことなどないのだろう。臨也が帝人に振り回されているように、帝人も臨也に振り回されている……などとは。
帝人の顔とお粥をチラチラと窺う様子からは、いつもの不愉快なくらい自信に満ちた姿は想像も出来ない。そうした臨也の一面を垣間見る度に、嗚呼この人にも常識や良心ってものがあったんだなと帝人は思ったりするのだった。
「……愛って、どれ位」
布団の中から聞こえたくぐもった声に、帝人は心の中で笑う。この問いだけで、臨也が落ちたのが分かったからだ。
「そうですね、100グラム位じゃないですか?」
匙はレンゲよりもスプーンのそれに近い。土鍋いっぱいに作られたお粥を空にするのに、一体何往復することだろう。
「勿論無理して食べてくれなくても良いんですよ? 臨也さんには荷が重過ぎるかも知れませんしね」
帝人の手を掴んだままの臨也の手が、ピクリと動く。どうやら決定打だったらしい。
「帝人君が、あーんしてくれたら……考えてあげなくも、ないよ」
どうにも素直になれないようだ。此方としては、目の前でお粥をぶち撒けだって一向に構わないのだ。けれど帝人の目的は臨也に元気になってもらうことなのだ。喧嘩中なら兎も角、こんな状況下でそんな真似はしない。
仕方無いですね、と帝人は今度こそこれ見よがしに大きく溜め息を吐いて、臨也に向き直った。
「はい、あーん。して下さい」
だけどきっとこれも惚れた弱みなのだろう――なんてことは、当分臨也は知らなくて良い。
作品名:愛100グラムいかがですか 作家名:yupo