メロウ Ⅳ
衣装担当の女の子が、ロミオの衣装を満面の笑みで掲げる。
天十郎君が着る予定の、ロミオの衣装。
実際、その一部を手にとって、その縫製の細かさに驚く。
布のほつれやボタンの縫い合わせの甘さが全くなく、業者にオーダーしたものと言っても差支えはないほどのレベル。
「ホラ、うちはおばあちゃんもお母さんも『裁縫のセンセイ』やってるからね~。
基本的なことは私もできるよ!
そうだ!先生、コスプレしたかったら作ってあげるよ!」
「おっ!じゃあ俺、CAがいい!CA!」
横から大道具の釘打ちをしていた男子生徒が口をはさむ。
「アンタには聞いてないでしょ!?」
笑い声が響く。
本当に「心の底から笑える」のって、一体いつまでなんだろう。
大人になればなるほど、無くなっていく「機会」なのかもしれない。
だからこそ、今、思う。
この子達の笑顔と笑い声が、これからもずっと、続きますように。
メロウ -4-
あの日、天十郎君と私の間で起こった出来事は、誰も知らない。
天十郎君はあの時、「とんでもないことをしてしまった」という顔をしていた、気がする。
逃げるというよりは淡々と服を直し、重い扉を開けて、出て行った、気がする。
あの眉間にいった皺が、苛立ちでは決してなく、むしろ「悲しみ」だった、気がする。
なんで「気がする」なのか?正直、あの瞬間のことははっきりと覚えていないから。
ひとしきり泣いた後、ふらふらと踊り場の水道に向かって、顔をじゃぶじゃぶ洗った。
ブラウスが引きちぎられたのを隠すため、胸元を抑えながら教職員ロッカーに向かい、ストックしていたジャージを羽織った。
放課後だというのにあまりにも職員室を長いこと不在にするわけにはいかないので、その足で職員室に向かったのは覚えている。
「北森先生、相変わらず大変ですね。」という声をかけてもらった。
きっと、問題児の多いClassZのこと。
「また『あのA4あたりが』トラブルを起こして、その所為でスーツが濡れてしまったのだろう」と勝手に解釈されたのだろう。
それでいい。
このことは、自分の胸の中にしまえばいい。
そうだよね?
私の心の中に、今、確実存在する「その人」に向かって呟いた。
「日常」は流れる。それは残酷なくらい滔々と。
推薦で進路も決まっている生徒もいれば、ほとんどの生徒はこれから受験に向けて動き出す。
だけどそればっかりでもなく、文化祭や聖帝祭といった行事も控えている。
今まで以上に、ぼーっとしている暇はなかった。
幸い、そのことが私を天十郎君達のことを忘れさせた。
廊下を歩いていると聞こえてくる、教室からの明るい笑い声。
ちょっとおバカな発言に、それに突っ込む声。
それは紛れもなくA4のものであった。
廊下に面した窓から私を見つけたアラタ君と八雲君が声をかける。
「おやおや、ティンカーチャン、四時限目はこのクラスじゃないよね?」
「はろはろ~、センセ~、もしかしてもしかするとぉ、やっくん達に会いに来たナリか~?」
「次の時間は、私はClassZの隣で授業。二人共、ちゃんと把握してるくせに。」
にっこりと笑って二人をあしらう。
「そうやって、つれないティンカーちゃんも可愛いよ!」と投げキッスするアラタ君の後ろには、机に突っ伏して寝る千聖くんと……
バツが悪そうに眼をそらすわけでもなく、じっとこちらを見る天十郎君がいた。
その目が何を映しているのかわからなかったけれど、敢えて天十郎君は見ずに、その後ろで居眠り中の彼を見遣る。
一向にそらす気配のない目線が、私を突き刺していた。
「今晩、オメェんち行くから。」
低く囁く声。
それは確実に幻聴なんかではなく、廊下ですれ違った瞬間に、「彼」から発せられた言葉だった。
振り向いた瞬間に、バタバタと足音を立てて走り去る彼の姿。
その向こうには、千聖君がいた。きっと、今からアホサイユで昼食をとるのだろう。
教室で机の上に座って、千聖君やアラタくん八雲君と談笑する姿。
大きな身振り手振りで、大きな口を開けて体内に太陽を取りこんでいるような明るさを振りまきながら、わははと笑う。
日向のにおいをまき散らす彼にはそぐわない暗さ。
周りを笑いに巻き込むような話をする彼の口から発せられる、陰湿で含みを持たせた言葉。
その声を聞いて背筋にぞくりとうすら寒い震えが走る。
その中に甘い震えが入ってるなんて
誰にも
言えない。
完全に吐く息が白くなった。
文化祭も終わり、聖帝内は、行事終了後独特の雰囲気に包まれていた。
「日誌を取りに来た。」
職員室入ってすぐの扉の前に、千聖君が立っている。
「え?でも今日は当番じゃ……。」
「別に、こっちの方に用があったから来ただけだ。
日直が必ず取りに来い、ってルールはないだろう。」
すたすたと私の机に向かう。
「にしても、お前の机はわかりやすいな。
置いてある『モノ』がお前の机だと、主張している。
もし今すぐ席替えをされても、お前の机には向かうことができるだろうな。」
「……教師は席替えなんて滅多にないよ?」
方向音痴の彼が、まっすぐに目的地に着くと言うのに、
地図を読むのが得意な私が、なに迷子になっているんだろう。
『必要とされているのなら』、それはそれで嬉しいはずなのに。
『必要とされているからこそ』、こんな形で求められたくなかった。
この頃には、3,4日に一度、天十郎君が夜に私の部屋に訪ねるようになっていた。