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パブロフドッグとハムスター

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偶数よりも奇数。
満月よりも新月。
雨よりも曇天。
繰り返し繰り返し。
さぁさ願いましては――、


さっくりとまるでバターの塊でも相手にするかの様に酷く無骨なフォルムのナイフは石畳に突き立って鈍く光る。
手を叩けば駆けて来て。
名を呼べば飛びついて。
野兎を放てば意気揚々と首元に齧り付く従順な犬みたく。
ただし「彼」の場合は首元に刺さるのは牙では無く刃で。
じゃり、と首を動かした拍子に後頭部に僅かな痛み。
しかしそれを気にすることなく、ヴィルヘルムはただ自分の肩に食い込む指や石畳の冷たさや自分の頬の数ミリ先にある銀の刃や圧し掛かった赤目の少年、その他諸々を薄笑いを浮かべて受け入れた。


人とは全く異なる時間を生きるヴィルヘルムには、死という概念が存在しない。
ただ美しきと愉しみを自由気ままに追い求める彼にとっての死は即ち退屈だった。
全てのものに死は等しく恐れるべきものであり要するに彼にとって退屈とは恐れであり、その恐ろしさから逃れるため、そのためだけに、ある時彼は試しに死んでみた。


例えば音楽であるとか大聖堂のフレスコ画であるとか滅びた古城を覆いつくした薔薇の群れであるとか、ヴィルヘルムの美意識に訴えかけてくるものは色々あったけれども、その中でも特にお気に入りだったのは死に際に燃える生き物の魂で、彼は蝶の標本を作る子供の様にそれを集めては無邪気に愛でた。
暇を持て余した時に現世に出向き、採集のためにか弱い生き物達と相対する度、その灯火を握り潰さんと腕を振りかざす度、覚えた感情は羨望だった。
泣き、喚き、叫び、もがき、暴れのた打ち回るその姿が、そう、彼には困ったことにとても楽しげに見えてしまって。
――ああ、『死』とはどれ程までに愉快なものなのだろう?
そして更に困ったことに、彼のそのどうしようもない憧れを叶えるものはとても容易く手に入ってしまった。
彼はある時に現世の鉄錆びの匂いしかしない名前も知らないどこぞの国から一人の少年をこちら側へ引きずり込み、一言だけ告げたのだった。
自由を返して欲しければ私の下に就け、拒むなら死ねと。
かつて『切り裂きジャック』と呼ばれた殺し屋の少年に、選ぶ権利は無かった。
かくして、偶数よりも奇数に、満月よりも新月に、雨よりも曇天に。
事切れては塵となり、また三日もすれば薄笑いを浮かべて、繰り返し繰り返し。
ヴィルヘルムは少年――ジャックの手で気まぐれに死ぬことを覚えた。
さぁさ願いましては――、


ぢゃか、と引き抜かれたナイフが再度振り下ろされる。
ぱさと髪の束が斜めに切り落とされ床に落ちた。
そして青白い頬に短く描かれた赤い線。
掠めたか、頓馬め。
頬に感じる微かな熱に唇を歪め、それでもヴィルヘルムは何を言うことも無く目を閉じる。
こんなささやかなものはどうでもよかった。
肉が千切れ皮膚が裂け骨が砕け闇が弾け全てが断絶されるあの一瞬。
その恍惚に比べれば、どうでもよかったのに。


「……なあ、」


耳に届いた言葉の異質さ(何故か、酷く、湿り気を帯びていたように彼は感じた)に彼は目を開く。
それと同時だった。
ジャックは獲物を振り上げ、遠く放り投げ、空になった手の平をヴィルヘルムの喉目掛けて真っ直ぐに振り下ろして掴みかかってきた。
「なっ、が、ッあ!?」
予想外の展開に思考回路がついていかず、咄嗟に腕にしがみ付きがむしゃらに首を振る。
それでも力は全く弱まらずむしろ強くなっているようだった。
初めてのことだった。
考えたことも無かった。
そもそも知りもしなかった。
彼にとって命を奪うということは花を手折ることと同義だった。
蝶々を標本にする時、毒薬の入った壜に蝶々を閉じ込めるという方法があることを知らなかった。
何かを言おうとしても舌が痺れて上手く動かない。
まず声を出すために息を吐くことが出来ない。
さっきの掠り傷から生じる熱が肌を焼くような錯覚を覚え、しかし舌の根からはじわじわと肌を粟立てる寒さが這い登る。
「――……う…ア、ッ……く、」
悲しくも無いのに勝手に涙が浮かび、そのまま眼前の顔を見れどもそれは滲んで見えないのか霞んで見えないのかも分からない。
引きずられる様に瞼が重くなる。
ぐらぐらと脳が揺れ、引き剥がそうとしていた指が腕から解け、そして朧の向こうで少年が笑った、気がした。
「っ!」
その瞬間、ぱらりとあっけなく喉に食い込んでいた指が離れた。
途切れかけていた意識が一気に鮮明の中へ引き戻されたが、今度は酸素を求め開いた唇がジャックのそれで塞がれる。
力の抜け切った体にもう抵抗する気力は残っていない。
けれど、息苦しさと口内に滑り込んできた舌の違和感にただ呻いて、瞬いた拍子に涙を落とす。
ついと涙の跡を辿るように頬をなぞり、固まりかけた傷口を引っかいた指先の温度。
絡めとられ吸い上げられた舌に感じた鈍い疼き。
ぴちゃ、と妙に生々しく反響した水音。
聞き取れない言葉。
そして得体の知れない笑顔を最後に、彼の記憶は途切れた。


目を覚ました時、赤目の少年の姿は無くただ高い高い天井だけが目に映った。
起き上がるのも億劫で寝そべったまま首に触れれば、はっきりとした違和感が残る。
あ、と小さく声を出してみて、唾を飲みこむと小さな痛みがあった。
間違いなく痕になってしまっているだろう。
死んで戻ってきたのなら、痕も痛みも残らない。
要はあの後、彼は、ジャックは、殺さなかったのだ。


「くっ、ハ、あはははははははははは!!!!!!!」


殺せ。
寸分の狂いもなく殺せ。
それが普段ヴィルヘルムがジャックに対し与えていた命令だった。
手を叩き、呼びつけ、文を投げつければそこに書かれた名前を。
そうでなければヴィルヘルム自身を。
さんざ繰り返してきたそれを、彼は数百回目にして破ったのだ。
彼にはその意味が理解できない。
理解しようとも思わない。
それなのに、それなのに、どうして、こんなに愉快なのだろう?
誰もいない中、彼はいつまでもいつまでも声をあげて涙を零すほどに笑って、


「……この駄犬が」


それはそれはこの上なく楽しげに嬉しげに、あの時の少年そっくりに、笑った。