存在定義
追い掛ける背中が欲しかった。
「…だから、やつの背後に回る場合は、」
「それさ、昨日も聞いた」
言葉を落とすと同時に、空気がびしりと音を立てた。
ま、本当は空気に音なんてないんだけど。なんていうか、そういう感じだったってことで。
紙に一度も着艦しなかった、安っぽい万年筆を投げる。
足を投げ出して、つまらないと全身で表現してやる。
そうしたら、目の前の男は一瞬だけ目を見開いて、こっちを見た。
「負け犬のアンタに聞いたって、勝てるわけないだろ?」
だからその瞬間を見定めて、辛辣な言葉を投げる。
歪む顔。ぐっと堪えた唇が、怒気を孕んで震えていた。
落としたペン先から、インクが滲む。黒が滲む。彼の目から、小さな憎悪と嫉妬が滲む。
(言いたいことがあるなら、言えばいいじゃん)
「ああ、犬じゃなくて猫だっけ?」
(俺なんかの言葉すら、言い返せもしないわけ?)
「どうせ俺は補欠だし。アンタは負け犬だし。どっちにしたって、サイアクだね」
手元のCOKEを煽る。
殴りかかってくるかとちょっと期待したけれど、彼は相変わらず葛藤を耐えていた。
握った拳が震えている。それを一瞥して、鼻で笑ってやった。
“F4F戦闘機―ワイルドキャット”
それが彼の有名すぎる愛称。
でも、野良猫が飼われてるなんて、おかしな話だろ?
鋼鉄の野良猫は人間の造った檻の中で、人間の命令に従って事を成す。その姿は、まるで飼い犬だ。
そして彼は、主人の期待に添うことができなかった。
だから俺が生まれた。
恨まれているかもしれないけど。それが現在の彼と俺との、確固たる立ち位置だ。
生まれた理由が最初から存在してる意味なんて。きっと人間には分からないんだと思う。
俺たちは、生まれた時から全部決められている。
歩むべき道も。戦う理由も。守るべき者も。なぎ払う敵も。
自分自身の性能すらも。
それこそ最初から全部、人の都合というレールの上だ。
その為に造られたのだから当たり前だけど、じゃあ身体と同じように心もそれらしく造って欲しかった。
疑問も嫉妬も悲しみも。兵器には何一つ必要ないだろう?
生まれたばかりの自分に最初に与えられたのは、F6F戦闘機―ヘルキャットという名前ではなく、コルセアの補欠機という立場だった。
“補欠機”
それを聞いた時。頭がまだ味わった事のない、機銃で打ち抜かれたと思うくらい揺らいだ。
つまり、最初から自分は期待などされていないということだ。
現在の立ち位置は補欠。機動性を尊ぶ軍部からの、俺の評価は最悪。
コルセアというやつがいるのなら、俺はスポットライトも浴びることなく終わるんだろう。
それだけならまだいい。もしかすると、必要ないと言われるかもしれない。そうしたらその場で自動的に強制エンディングだ。
それなのに、一体何を頑張れと?
「…ゼロを甘く見るな。あれは、」
「あれは悪魔だ」
だろ?
言葉を続けたら、目の前の男は眉をしかめた。
分かってないね。そう思った。
「別に甘く見てるわけじゃない。しかもそれも、もう何回も聞いた」
ゼロ。
東洋の島国の、クレイジーな兵器の名前。地図で見たら、あんまりにもちっぽけで驚いた。
合衆国が、工業も発達していない後進国に劣るものなど何一つない。それなのに勝てないのは、目の前の男が甘っちょろいからか。あるいはやはり、悪魔の所業というところなのだろうか。
(悪魔に、地獄猫。ネーミングは最高に最低だね!)
ひとりごちる。
俺は彼の為に生まれた。
ゼロを倒すこと。それが俺に与えられた存在理由らしい。
でもそれは、俺だけに与えられた理由じゃない。
「それならコルセアに言ってよ」
行けるかも分からない戦場で、出会えるかも分からない彼の為に、焦がれたかのように彼を学ぶ。その虚しさ。しかも彼に負けて、自分の開発の原因となったこの男からだ。
「…コルセアが後継機になったとしても、俺の弟はお前だけだ」
苦い顔で、目の前の男はそう言う。真に迫る顔が、逆に滑稽に映った。
「それさ、」
「スカイロケットが生きてても、同じ事言った?」
自分でも驚くくらい淡々とした声だった。
ひと呼吸置いて、伏せた目を上げる。彼は、言葉を失ったかのように俯いていた。
それを見て、渇いた笑いが漏れた。
「…アンタ正直すぎて嫌んなるよ」
捨て台詞。
彼の答えを聞かないまま、逃げるように部屋を後にした。
(ほんと、最悪)
耳を押さえて。
頭を抱えて、廊下の壁ぎわに座り込んだ。
生まれたときから、誰かの補欠。誰かの代わり。
自分だけに与えられる物など、何一つない。
俺の人生は、最初からバッドエンディングだ。