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璃琉@堕ちている途中
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髪を結ぶということ

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矢霧波江には日に一度、その緑の黒髪を結ぶ時間がある。
別に難しいアレンジをするわけではない。麗しいうなじより少しだけ上の部分で、腰まで届くロングストレートをひとまとめにするだけだ。同じく、黒のゴムを使って。
人の目に、他の仕事がどんなに忙しく、またどんなに煩わしく感じられる時でも、彼女は一切髪を結ぶことはない。
だから、そのイレギュラーは所謂、ギャップ萌えであり、

「―習慣になっちゃったね」

非日常に生きる彼女の、日常でもあった。

「気が散るから話し掛けないで、と以前にも言ったはずよ」
「ああ、ごめん」

あっさり引き下がると、彼、波江の雇い主でありかつての(いや、現在もだが)取引先でもある折原臨也は、正面を向き手元のスクラップブックに視線を落とす。
広い部屋は静謐を取り戻し、波江は嘆息しつつも、作業を再開した。
―彼女は現在、キッチンに立っている。
本日の献立も、昨日と変わらず彼からのリクエスト通り。

(本当、どうしてこうなっちゃったのかしらね)

彼女が髪を結ぶということは、彼女が自身と折原臨也の為の食事を作る時間にいるということと、同義なのだった。
もうこのことに対して、彼女は考えることを放棄していた。―諦めたのだ。

(だって、こうすることが、当然に、自然になってしまった)

刻んだ食材をまな板から鍋に移しつつ、波江は臨也を、美しい背中を眺める。
彼が彼女との食事中に必ず口にする、「いただきます」、「ごちそうさまでした」、「おいしい」、「ありがとう」、その他諸々。そして、表情。
背中を見つめるだけで、それらは波江の鼓膜と網膜に蘇った。ありありと、いきいきと。

(どうかしてる)

数えるのも嫌になるくらい思ったことを、鍋の中身を木べらでかき混ぜつつ彼女は思う。思うのだけれど。
―結んだ髪を、解く気にならない。

「火、強くないか」
「!」

気づけば、視界から臨也は消えており、代わりに背後が彼の気配で包まれる。
波江の後ろから伸ばした腕で、彼はコンロのつまみを捻った。

「どうかした?ぼんやりしてる」
「どうもしないわ。戻ってくれない?」
「これが済んだらね」
「え…?」

戸惑う彼女の髪に、触れる手があった。
彼の、臨也の手。
波江が反応を返す間もなく、彼は″これ″を始めて、

「っ…」

彼女の頬に熱を集めて、終わらせてしまった。

「一房、落ちてた。さっきから気になってたんだ」
「…自分で、出来たわ」
「ごめん、俺がやりたかった」
「………」

君の髪、触ってみたかった。結んでみたかった。
…とは、臨也は言わない。
けれど、今の波江にはどうにも、そう囁かれているように感じられてならなかった。
そして彼女はもう、そういう類のことを考えることを、放棄してしまっていた。いや、

「ねぇ、波江。今度シュシュを贈るよ」

―諦めさせられたのだった。

「この綺麗な髪に似合う、素敵なやつを」

だから、俺だけの君でいて?
髪を結ぶ君は、俺だけのものであってくれ。



しんでしまう。
こんなことをつづけていたら、しんでしまう。



彼女が、彼女と彼の為に作った料理が二人のテーブルに並ぶまで、あと―――



『髪を結ぶということ』

(私、アンタの所為でもうすぐ死ぬかも知れないわ)
(お互い様だろ)