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忘れられないよと言ったきみの乾いた笑いなど

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あっという間だった三年間は終わってしまった。
そんなことを改めて認識したのは担任から卒業証書なるものを手渡された時であって、もうここに来る必要はないんだとまざまざと感じさせられた瞬間でもあった。最後であるにもかかわらず淡々としたクラスの担任の言葉を聞き流し、何ともなしに切り取られた窓枠の向こうを見下ろす、まだ桜が咲くには早い季節であったから随分寂れたグラウンドになっていて、俺は少しばかりそれを残念に思った。担任の使い古された激励の言葉が終わればグラスの中は一時わっと騒がしくなり、女子なんかは使い捨てカメラを片手に教室中でフラッシュを焚いている。時折それに俺も呼ばれ、大して断る理由もなかったから笑顔で応じた。どれだけそうしていたかはわからないが、クラスメイト達との雑談のさなかに小さく泉が俺の袖を引いたので、俺は対して抵抗することもなく鞄を持って教室から出て行った。いつも道理じゃーな!!と明るく別れを告げると、お前は本当にどうしようもない、とあきれるように数人に笑われた。「グラウンド、行こうぜ」泉は俺の袖を離して小さくつぶやいた。少しだけ笑っている。おう、と返しながら、もうみんなあのグラウンドへ行っているんだろうなと俺は確信していた。
春に近付きつつある冬の風は、間違いなく冷たくグラウンドをなでている(それは同様にグラウンドへと足を運んだ俺たちをもなでて行ったのでみんな一様に体を抱きしめるはめになった、余談だが)それを見て俺は終わったんだな、と口走っていた。教室で確かに同じように感じたはずであったが、それはひどく重々しい声になって、胸の中心を締め付けた。なぜだか眼がしらが熱くなって、軽くこすれば少しだけ涙が裾をぬらした。俺はそのまま号泣するのではないだろうかと思いながら、その染みをまるで他人事のように眺めていたが、涙はそれ以上あふれることなくもうすっかり瞼の奥に(或いは涙腺の奥に)ひっこんでしまっていた。
四月になってしまえば新しい生活がスタートする、それは誰しも同じことだ。元になってしまうチームメイトたちの乱痴気騒ぎのなかで同じように騒ぎたてながらそんなことを頭のなかで冷静に考えている自分がいて、少し驚いた。そんな風にしていると、どこからやってきたのかモモカンが姿を見せて、いそいそと集まったチームメイトたちの中心で、担任と同じような激励の言葉を吐いた。まるで空滑りするような担任の言葉とは対照的に、モモカンの言葉は一つ一つ重たくてたまらなかった。
そんなモモカンの激励も終わり、そして騒ぎもおさまってしまえば残るのはただの寂寥感だけ。いずれ訪れる新しいものへの高揚感も今は無い。帰ろうか、と誰かがいい、方向が同じ人からだんだんと減っていった。俺はベンチに座っている三橋のそばへ行った。先ほどまで阿部と何やら会話をしていたみたいであったけれど今は三橋がぼんやりと一人きりで座っている。グラウンドに残る人ももう残り少なく、夕闇は確かにすぐそこまで迫っていた。近くまで寄っても三橋はグラウンドを眺めていた目を上げはしない。そんな横顔を眺めながらこれが最後になるかもしれないと俺は確信を抱いていた(厳密に!)だから努めて明るい声で言った。「帰ろーぜ!」声にびっくりしたのかばっと振り返り、数秒の間を開けてからうんと、彼は気の抜けた笑顔で返す。もう、何十回と繰り返した動作ではあったけれどおしくは無かった。
自転車を引きながら相変わらず身にもならない会話ばかりを続けて暫く、そして思い出したように何見てたのと俺は浮かんだ疑問を言葉に乗せた。三橋は首を傾けていつのことだろうと思案を巡らせ始めたので、さすがに突飛だったかなと、さっき、ベンチで座ってたとき、と助け船を出した。三橋は合点がいったように表情を明るくして、それから少しだけ曇らせた。だれしもが感じている寂しさののようなものを三橋もきちんと感じていた。
間を開けて三橋が口を開き、置いて行くんだ、と思った、といった。なるほど、と俺は思う。三橋はこれから過去になっていくものたちのことをぼんやりとあのベンチの上で考えていたんだろう。狂おしいほどの灼熱の夏を通り抜けて、あきれるほどに熱中したグラウンドを、三年間を長いとも思わず過ごした掛替えのない場所をおいて行くのだと。それは三橋だけでなく、俺も、チームメイトたちも同じように。
不意に、俺はあの時を覚えてるかと口走っていた、それは遠くそして寒々しい冬の日に一度だけ友情のラインを踏み越えてしまった行為の示唆でもあった。言って俺は失言だと思った(隣にあるく三橋はびくりと肩を跳ね上げたし、不器用に視線をずらしていたし)けれども言ってしまった言葉は返ってこないし、どうしようもない。きっとこれが最後の帰り道ではあったのだけれど、最後であるならば、何かが崩壊することを恐れる必要もなかった。
三何間を過ごすうち、五センチほど慎重に差が出来てしまった三橋を横目で見た、二人の間には相変わらず自転車があって、三橋の自転車は一度パンクしてしばらく徒歩通学だったということを思い出させる要因になった。いつも、というよりはよく、うつむき加減で歩いている三橋の表情は見えない。けれど言葉を探しているのだろうということはよくわかった。長い付き合いと言うほど三橋と時間を共有したわけではないが、誰より理解しているのは自分だと思いあがりにも似た自信があった。
三橋は不意に、そしてそれはあの時のことを覚えているかと尋ねたことと同じくらいの気安さで、足を止めた。俺は三橋より二歩ほど先に進んだところで足を止めた。一メートルにも満たない距離は二人を引き離すほど絶対的なものにはなりえなかった。けれどもうつむくのをやめた三橋を見て、絶対的なものであったとしても彼は逃げたりはしないんだろうという確信が俺の中で閃いた。三橋にとっての三年間は、彼を成長させるための三年間でもあったのだから、当然だ。
「寒かった」
「うん」
「よる、だった」
「うん。」
とぎれとぎれになりながらそこまでをいった。覚えているんだなと俺は思った。そこからどういうように展開していくのか思案しても結局答えは出なかったから、俺は辛抱強く言葉の続きを待つ。これは、阿部にひどく足りていないスキルの一つだったが、三年間の間にずいぶん改善されたんだったとどうでもいいことに思考が流れた。相も変わらず俺と三橋との間には絶対的にはなりえない距離が開いていて、そういえば数年前まではこの距離を詰めるのにひどく心中していたと思うことまで思い返した。
「ふたりだった。」
「うん。」
彼の声は低くも無く高くもない。この声は好きだなと素直に考え始めたところで、三橋が歩きだした。たかが数歩であったが俺を追い抜いて三橋は足を止めた。またしても絶対的にはなりえないほどの中途半端な距離が開いてしまった。
三橋はやはりうつむき加減に振り返り、最後の大会の直後のような顔をした。声が出ないと言って、笑って、最後に泣いた時のあの笑顔によく似ていた。


「忘れられないよ。」


薄闇のなかで彼は確かに笑っていた。
(そうして、さよならと彼は最後に言った)